2006年09月23日

豊臣秀吉の妻、於祢(おね)

於祢の実の父親は岩倉の織田伊勢守の家臣だった林弥七郎です。
於祢が11歳の時、岩倉城は信長に攻められ、父親は戦死してしまいます。於祢は父親の親友だった浅野又右衛門の養女となります。主家が滅び、又右衛門は浪人となりますが、弓矢の名人だったので、信長に召抱えられます。
16歳の春、木下藤吉郎と称していた秀吉と祝言を挙げます。当時、秀吉は27歳で、足軽鉄砲隊の頭になったばかりでした。秀吉が於祢に惚れ込んだのか、義父の又右衛門が秀吉の将来を見越したのかわかりませんが、於祢は11歳も年上の見た目も冴えない秀吉の妻になりました。
於祢が20歳の時、織田信長は将軍義昭を奉じて京都に攻め入ります。この時、秀吉は奉行の1人として京都に残ります。
於祢が28歳の時、夫の秀吉は長浜城主に出世します。於祢は城主の奥方様になりました。信じられない事のように喜びましたが、それはほんの序の口に過ぎませんでした。夫の秀吉は出世街道をまっしぐらに走って、天下人になってしまいます。
残念ながら、於祢は子供に恵まれませんでした。もし、二人の間に男の子が生まれていれば、秀吉が亡くなった時には立派な武将になっていて、徳川家康の出番は来なかったかもしれません。
於祢は祢々(ねね)とも呼ばれます。どっちが正しいのかわかりませんが、祢々の方がふさわしい様な気がします。

藤吉郎伝―若き日の豊臣秀吉


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ラベル:戦国の女性
posted by 酔雲 at 11:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦国時代>人物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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