2006年09月17日

織田信長の都、安土城下

天正4年(1576)、織田信長は琵琶湖のほとりの安土に新しい城の建設を始めます。岐阜城を長男の信忠に譲り、仮宿所に移って自ら指揮を執ります。
城の建設に伴って、様々な人たちが安土に集まって来て、城下町も形成され、何もなかった地が、日本中で最も注目される都に変身して行きます。
安土城の天主が完成したのは天正7年の5月11日、信長の誕生日でした。天主の絢爛豪華さに誰もが圧倒されました。信長は得意になって、訪れた客人たちを天主に案内します。まるで、この世の極楽が琵琶湖のほとりに出現したようでした。
城下の楽市にはあらゆる物が集まり、手に入らない物はないと言われ、キリシタンのセミナリオ(神学校)も建って、異国の音楽が鳴り響き、異国人の司祭や修道士たちが当然の事のように闊歩していました。
天正9年の7月には城内に信長自身を神として祀る総見寺が完成して、盛大な盂蘭盆会を催し、大勢の見物人を驚かせました。
天正10年の4月、甲斐の武田氏を滅ぼして凱旋した信長は、5月11日の誕生日を総見寺の祭りとして盛大に祝います。数日後には、徳川家康を安土に招いて、武田攻めの功績をねぎらいます。この時、自分の命があと半月余りだとは思いもしなかったでしょう。
6月2日、信長は京都の宿所であった本能寺において、明智光秀に攻められて遭えない最期を遂げます。
信長の死後、安土城下は信長に怨みを持っていた本願寺門徒らの襲撃に遭い、破壊の限りを尽くされ、哀れ、安土城も15日に燃え落ちます。
信長が作った都はたったの5年で姿を消し、華麗な天主は幻の城として語り継がれて行く事になります。

時は今‥‥石川五右衛門伝


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ラベル:戦国の城
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posted by 酔雲 at 12:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦国時代>城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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