浅間山の南側を通る中山道には軽井沢宿、沓掛宿(中軽井沢)、追分宿と三つの宿場があって、どこにも飯盛女はいました。中でも、追分宿の飯盛女が一番、評判がよかったようです。
追分宿には60数軒の旅籠屋があって、飯盛女のいる宿屋は50軒近くありました。有名だったのは「油屋」と「大黒屋」で、30人以上の飯盛女を抱えていました。次いで、「永楽屋」「甲州屋」「小林屋」とあって、20人前後を抱えていました。
旅人が通ると客引きも激しく、甘い言葉で誘って、強引に引っ張り込みます。旅人の方も、旅の恥はかき捨てだとばかりに、鼻の下を伸ばして旅籠屋に引き込まれます。旅人たちだけでなく、近在の若い衆も馴染みの女郎を作って通っていたようです。
越中や越後、美濃や三河の方から売られて来た娘が多く、多額の借金を抱えながら辛い仕事に耐えていました。一度、この世界に入ってしまうと抜け出すのは難しく、大抵の女たちは宿場から宿場へと流れ、最期には無縁仏として葬られました。
飯盛女の揚げ代は昼間が200文、泊まりが500文だったようです。
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