2006年09月02日

ひめゆりの塔

ひめゆりの塔は、南風原から撤退して来た陸軍病院の第三外科が本拠地を置いた伊原の自然壕の上に立っています。
第三外科は初め、伝染病科でしたが、負傷兵が多くなるに従って、外科だけでは間に合わなくなって、内科が第二外科となり、伝染病科が第三外科となります。
第三外科の診療主任は那覇市出身の嘉手川軍医中尉でしたが、南部に撤退する前に、嘉手川軍医は他の部隊に転属となって、長崎県出身の鶴田軍医中尉が主任となります。
看護婦長は熊本県出身の宮崎婦長と那覇市出身の具志婦長がいました。二人の婦長の下に25人の看護婦がいました。
戦後、ひめゆり学徒隊と呼ばれるようになった師範学校女子部と第一高等女学校の生徒たちが陸軍病院に配属されたのは昭和20年の3月24日です。
第三外科に配属された生徒は23名で、師範学校女子部の生徒が16人、一高女四年生が7人いました。師範学校女子部の生物担当の玉代勢先生と音楽担当の東風平先生が引率していました。
南風原の陸軍病院壕で2人の看護婦と1人の生徒が直撃弾を受けて死亡し、伊原に移って来てから、伝令として山城の本部壕に行って死亡した生徒が1人います。
6月19日の朝、敵の攻撃を受けて、壕内にいた100人近くの人たちが亡くなってしまいます。この時、他の壕から移って来ていた生徒たちもいて、亡くなった生徒は42人もいました。
奇跡的に助かったのは、看護婦が6人、民間人の患者が1人、生徒が5人だけでした。

沖縄二高女看護隊 チーコの青春


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ラベル:沖縄戦
posted by 酔雲 at 11:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 昭和時代>戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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