2006年08月19日

戦時中の替え歌

テレビもなく、ラジオが唯一の情報源だった戦時中、流行歌の歌詞を変えて歌うのが、結構、流行っていたようです。
「同期の桜」は西城八十作詩の「二輪の桜」の替え歌で、「ラバウル小唄」は若杉雄三郎作詩の「南洋航路」の替え歌です。両方とも、元歌よりも替え歌の方が有名になっています。
昭和15年に発売された高峰三枝子の「湖畔の宿」はヒットしましたが、時節柄、女々しくて感傷的すぎるというので発売中止となります。それでも、歌い継がれて、「タコ八の歌」という替え歌ができます。
 ♪きのう召されたタコ八が、弾に撃たれて名誉の戦死、タコの遺骨はいつ還る?
   骨がないから帰れない、タコのかあちゃん悲しかろ〜
 この歌を戦場で兵隊たちがしんみりと歌っていたそうです。
昭和13年に大ヒットした「愛国行進曲」の替え歌はいくつもありました。
 ♪見よ、東条のはげ頭、ハエが止ればツルッとすべる〜
 と陰に隠れて鬱憤を晴らしていたようです。
 ♪見よ、ぶっ欠けの皿あけて、まだ食い足りぬ芋の粥〜
 と食糧不足を笑い飛ばして生きていたようです。
昭和19年の「ああ紅の血は燃ゆる」の替え歌は、
 ♪花もつぼみの女学生、ふくらむ乳房抱きしめて、
   君にみさおをささげるは、県立高女の面目ぞ、ああ紅の血は燃える〜
 学生たちが近くの女学校の名に替えて、よく歌っていたようです。
「ラバウル小唄」の替え歌では、
 ♪さらば沖縄よ、また来るまでは、しばし別れの涙がにじむ
   恋しなつかし、岸辺を見れば、月にほのかな苫の影〜
 というのもあります。
「ズンドコ節(海軍小唄)」の替え歌では、
 ♪粋な角帽も制服も、捨てて凛々しい軍服に、
   可愛いあの子は目に涙、知らずや航空操縦兵〜
 ♪腰の軍刀にすがりつき、連れて行きゃんせどこまでも、
   連れて行くのはやすけれど、女は乗せない戦闘機〜
 ♪武庫川ほとりの女学生、枕草紙で口説いたら、
   赤い顔してうつむいて、絣もんぺの紐をとく〜
 などがあります。
戦場で、あるいは内地で、歌い継がれて来た替え歌は、当時の人々の想いをたっぷりと含んでいます。

沖縄二高女看護隊 チーコの青春


『軍歌・戦時歌謡大全集「海ゆかば」』  時代の流れを敏感に反映した、軍歌・戦時歌謡『戦時歌謡大全集』  『我が心の軍歌・戦時歌謡大全集〜嗚呼友よ父よ…』


ラベル:沖縄戦
posted by 酔雲 at 11:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 昭和時代>戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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