2006年08月16日

沖縄陸軍病院第一外科 上原貴美子婦長

ひめゆりの生徒たちの手記に必ずといっていいほど出て来るのが上原婦長です。優しく、強く、働き者で、その上、美人の上原婦長は生徒たちに慕われ、患者たちに頼りにされ、兵隊たちからも一目置かれた、尊敬すべき女性でした。
上原婦長は1919年、糸満に生まれました。17歳の春、看護婦養成所に入って、一年後に看護婦の資格を取り、翌年の春、愛生病院の産婆養成所に入って、一年後に助産婦の資格も取ります。その後は愛生病院の産婦人科の看護婦として働きます。
昭和19年6月、陸軍病院の看護婦募集があり、応募して採用されます。外科に配属されて婦長に任命されます。
十・十空襲の時、那覇から南風原に移りますが、この時、上原婦長の適切な指示で、患者さんたちを無事に避難させる事ができたようです。
敵が沖縄に上陸して、艦砲も激しくなると、陸軍病院は南風原の国民学校から黄金森に掘られた病院壕に移ります。前線からは次々に重傷患者が運ばれて来て、看護婦たちは休む間もないほど忙しくなります。上原婦長は看護婦たちやひめゆりの生徒たちを励まして、自ら先頭になって仕事に励みます。
頭がよくて、新しい患者の収容や看護婦の配置や勤務体制など、てきぱきとこなしたようです。ひめゆりの生徒たちは勿論、看護婦たちも皆、上原婦長に憧れ、上原婦長と一緒なら何でもやれる、上原婦長のためなら命だって惜しくないと頑張ったようです。上原婦長が巡回に来ると、今まで唸っていた患者や怒鳴っていた患者も急におとなしくなって、皆、喜んで迎えたそうです。
南風原から南部に撤退した後も、上原婦長は看護婦たちを引き連れて、民間人の治療を行なっています。
上原婦長たちは波平の壕にいましたが、敵兵が近づいて来たので、6月19日の早朝、伊原の第一外科壕に移ります。そこも危険が迫って来ていて、すぐに第三外科壕(ひめゆりの塔)に向かいます。しかし、第三外科も、まもなく解散になると聞いて、山城の丘を目指します。大勢の避難民たちと一緒にさまよい歩き、木陰でひと休みしていた時、敵の攻撃に倒れて亡くなってしまいます。25歳の若さでした。
映画ひめゆりの塔で、一高女四年生を演じていた香川京子さんが、上原婦長の事を詳しく調べています。

ひめゆりたちの祈り

沖縄二高女看護隊 チーコの青春


ラベル:沖縄戦
posted by 酔雲 at 13:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 昭和時代>戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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