2006年08月09日

十・十空襲

フィリピンのレイテ島を攻略する作戦を立てた米軍は、日本軍に邪魔されないように沖縄の軍事基地を前もって破壊しようと考えます。
昭和19年10月10日、晴れ渡った早朝の6時40分、米軍機が編隊を組んで那覇上空に現れて、小禄飛行場(現在の那覇空港)と那覇港に爆弾を落とします。
突然の事で、那覇の人々は敵襲とは思わず、日本軍の演習だと勘違いした人も多かったようです。やがて、おかしい事に気づいて、慌てて防空壕へと逃げ込みます。
敵機は次から次へと現れて、一時間半程、空襲は続きます。ようやく終わったとホッとしていると一時間後の9時20分、二度目の空襲が始まります。二度目の攻撃も飛行場と那覇港に集中し、日本軍も高射砲で対抗しますが、落ちる敵機はほとんどありませんでした。一時間程で二度目の空襲は終わります。飛行場も那覇港も壊滅状態となり、これで終わっただろうと皆、思いますが、11時45分から三度目の空襲が始まり、さらに、四度、五度と午後4時近くまで空襲は続きました。
四度目の攻撃から那覇の街にも爆弾や焼夷弾が落とされ、那覇の街は火の海と化してしまいます。さらに、逃げ惑う住民たちを狙って機銃掃射が追い打ちを掛けました。
那覇市民の死亡者は255人、負傷者は358人、軍人の死亡者は136人、負傷者は227人だったと記録に残っています。
この時、空襲を受けたのは那覇だけではなく、読谷飛行場、嘉手納飛行場、仲西飛行場、伊江島飛行場、瀬底島の船舶、渡久地の弾薬庫、運天港など軍事施設はすべて爆撃を受けて破壊されています。

沖縄二高女看護隊 チーコの青春


ラベル:沖縄戦
posted by 酔雲 at 14:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 昭和時代>戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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