2006年07月25日

織田信長の側室、吉乃

吉乃は生駒蔵人家宗の娘です。生駒蔵人は灰と油を商う商人でありながら、武士でもありました。輸送のための人足を多く抱え、各地から集まって来た浪人者なども居候していたようです。
木曽川流域の野武士集団を率いていた蜂須賀小六も出入りしていて、商人たちの警固に当たっていました。豊臣秀吉も木下藤吉郎を名乗っていた若き日に、生駒家の世話になっています。
吉乃は美人でした。藤吉郎は当然、吉乃に一目惚れした事でしょう。しかし、居候と生駒家のお嬢様とでは身分が違いすぎます。藤吉郎は吉乃を嫁に迎えるために、出世して偉くなって戻って来ると心に誓って旅に出ます。
ところが、吉乃は親の勧めで、土田山城主の土田七郎左衛門の次男、弥平次に嫁いでしまいます。七郎左衛門の妹は織田信長の母親なので、吉乃は信長の従兄に嫁いだ事になります。
土田家に嫁いで二年目の9月、美濃の斎藤勢に攻められて、土田弥平次は戦死してしまいます。吉乃は実家に帰って、喪に服します。そこに、故郷に戻って来ていた藤吉郎が顔を出し、信長も顔を出します。
当時の信長は尾張の国を統一する前で、周りに多くの敵を抱えていました。各地の情報を手に入れるために、生駒家に出入りするようになったようです。吉乃を見た信長も一目惚れをしてしまいます。吉乃の方も、度々、土産物を持って訪ねて来る信長に惹かれて行ったのでしょう。顔立ちもよく、何をやるにも型破りな信長という男は、女性にもてたに違いありません。
吉乃は信長の側室に迎えられて、幸せに暮らします。信忠、信雄、徳姫の3人の子供を産みますが、29歳の若さでなくなってしまいます。
吉乃に振られた藤吉郎は、恋敵の信長に仕えて、自分が思っていた以上の出世をする事になるわけです。

藤吉郎伝―若き日の豊臣秀吉


戦国の妻(おんな)たち  風雲児信長と悲運の女たち
ラベル:戦国の女性
posted by 酔雲 at 11:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦国時代>人物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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