お松は7歳の時、織田信長の長男、奇妙丸(信忠)と婚約します。この頃の信長は信玄を恐れて、やたらと信玄の機嫌を取っていました。勝頼に嫁いだ信長の養女が子供を産んだ後に亡くなってしまったので、つながりが途切れてしまうのはまずいと思った信長は、自分の長男の嫁にお松を迎えたいと言って来ました。信玄としても様々な贈り物を送ってよこす信長を可愛い奴だと思って許します。
お松は奇妙丸の嫁として、新しい屋敷に移って、新館御寮人様と呼ばれるようになります。婚約した幼い二人は手紙のやり取りを何度もしていたようです。
お松が12歳の時、信長は徳川家康と組んで信玄に敵対してきます。信玄は信長との縁を切り、お松の婚約は破棄されます。翌年、父親の信玄が亡くなり、お松は甲府を離れて母親と兄のいる信濃の国の仁科郷に移ります。仁科郷の静かな山の中で、お松は会った事はないが、五年間、婚約者として手紙のやり取りをしていた奇妙丸の事を思っていたのかもしれません。
17歳になったお松はその美貌を騒がれますが、甲府に戻ると出家してしまいます。戦の道具として嫁に行くのを拒否したのでしょう。
長篠の合戦後、かつての勢いを失って行った武田家に比べて、信長は日の出の勢いのように勢力を広げて行きました。織田に対する守りとして、兄の信盛は仁科郷から高遠城に移りました。信松尼となったお松も兄のいる高遠城に移ります。そして、22歳の3月、織田の軍勢が武田を攻め、武田家は滅亡します。
高遠城にいたお松は高遠城が落城する前に信盛に頼まれて、信盛の3歳の娘を連れて逃げています。山をいくつも超えて武蔵の国の八王子まで逃げました。同じ年の六月には本能寺の変が起こり、婚約者だった織田信忠も戦死します。
お松は出家して信松尼を名乗りますが、信の字は表向きは武田家が代々名乗っていた信ですが、本当は信忠の信だといわれています。信じられないかもしれませんが、一度も会った事のない婚約者をお松は一生、想い続けていたのかもしれません。
お松(信松尼)の略歴
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