2006年06月25日

武田勝頼

勝頼は武田信玄の四男です。母親は信玄に滅ぼされた諏訪氏の姫様で、かなりの美貌だったようです。勝頼を産んだ時、姫はまだ16歳で、信玄は22歳でした。
勝頼が10歳の時に母親は25歳の若さで亡くなってしまいます。17歳の時に元服して、諏訪四郎勝頼を名乗ります。信濃の国を我が物にしようと企んでいる信玄にとって、信濃の武士たちの反発を抑えるためには、諏訪氏の血を引いている勝頼に諏訪氏を継がせる必要があったのです。勝頼は伊那郡代として、諏訪氏の城だった高遠城に入ります。
20歳の時に織田信長の養女を妻に迎えます。この頃の信長はようやく尾張の国を統一したばかりで、信玄を恐れて、様々な贈り物をして機嫌を取っていました。養女にした娘も飛び切りの美女だったのでしょう。勝頼も母親の血を引いて、かなりの美男子だったようです。
勝頼は高遠城で美しい妻と平和に暮らしていたのでしょうが、二年後、信玄の跡継ぎだった長兄の義信が自害してしまいます。
義信の妻は駿河の今川氏でしたが、信玄は今川氏を倒して駿河の国を奪い取ろうと考え、義信と対立したようです。義信は信玄が父親を追放したのを真似して、信玄を追放しようと企みますが、ばれてしまい、幽閉されたあげくに自害してしまいます。義信の下の弟、次郎は盲目で、海野氏を継いでいます。その下の弟、三郎は10歳で亡くなっています。勝頼の下の弟、五郎はまだ11歳で仁科家を継ぐ事に決まっています。信玄の跡を継ぐのは勝頼しかいなくなってしまったのです。
信玄としては、すぐにでも勝頼を跡継ぎに決めたい所ですが、勝頼が武田に戻れば、諏訪氏を継ぐものがいなくなってしまいます。幸い、義信の死の翌月、勝頼の長男が生まれました。その子を武田家の跡継ぎとして、勝頼は諏訪氏のまま、後見させるという事に決めました。長男は生まれましたが、産後の肥立ちが悪く、妻は亡くなってしまいました。
義信の死の翌年、信玄は駿河に進攻して、今川氏を追い出し、駿河の国を我が物にする事に成功しました。海のない甲斐の国から海のある駿河へと進出する事ができたのです。これで塩に困る事はなくなり、海産物も甲府へと運ばれました。
26歳の春、勝頼は高遠城から甲府に移って、信玄の元で政務の見習いを始めます。正式には跡継ぎではないにしろ、50歳を過ぎた信玄はもしもの事を考えて、勝頼を側近くに呼んだようです。そして、二年後の4月、信玄は上洛の途中で突然、亡くなってしまいます。
信玄亡き後、武田四郎勝頼を名乗って、歴史の表舞台へと登場して来るわけです。

 武田勝頼の略歴

戦国草津温泉記・湯本三郎右衛門


武田勝頼  武田勝頼  武田勝頼(第1巻)  武田勝頼のすべて  長篠の戦い  


ラベル:武将
posted by 酔雲 at 11:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦国時代>人物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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