2006年06月10日

文化年間(1804〜1818)の物価

江戸時代の通貨の単位は金は両、銀は匁(もんめ)、銅銭は文(もん)です。
江戸時代でも初期の頃と末期の頃では違いますが、文化年間の頃は1両が銀64匁で、銭にして6貫400文です。1貫文は1000文です。1両は4分(ぶ)で、1分は4朱です。わかり辛いですが、16朱が1両になります。
流通していた貨幣は1両小判、1分金、5匁銀、南鐐と呼ばれた2朱銀、銅銭は1文銭と4文銭しかありませんでした。文化年間以降に、2分金と2朱銀と1朱銀ができます。1文銭は400枚を紐で通したものを、1本と呼んでいました。銭400文は1朱に相当します。
日雇い人夫の賃金が1日124文、下女は1日66文でした。
そばやうどんが16文、安い地酒が1升100文、上等な酒は1升250文もしました。塩が1升28文で、豆腐1丁は24文、いわし10匹が28文、さんま10匹が76文だったようです。
銭湯は10文で、髪結床は32文、女髪結は100文、着物の洗濯代が32文です。
深川の船饅頭と呼ばれた最下級の遊女が50〜100文、岡場所の遊女が400〜600文、吉原の小店の遊女が2朱、吉原の花魁になると色々としきたりがあって、三度は通わなければならず、その度に1〜3両は必要だったようです。
記録に残っている草津温泉の宿代は7日間で150〜300文です。この宿代には食事代は含まれません。当時は自炊が当たり前で、宿に着くと、鍋や釜などを借り、米や味噌、醤油などを買って自炊します。お金に余裕のある人は料理屋から仕出しなどを頼みます。食事時間になると野菜や漬物、豆腐や油揚げなどを売りに来たようです。
草津の温泉は酸が強くて、金貨や銀貨、刀も変色してしまうので、すべて宿屋で預かるという習慣になっていました。湯治客は通い帳に買った物を書いて置いて、帰る時にまとめて払っていました。

 文化5年の草津温泉の様子

『草津温泉膝栗毛・冗談しっこなし』のあらすじ

草津温泉膝栗毛・冗談しっこなし


ラベル:物価
posted by 酔雲 at 10:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸時代>文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。