生まれは駿河の国で、父親は駿府の奉行所に勤めていた武士で、本名は重田幾五郎です。
20歳の頃、江戸に出て、23歳の頃には大坂に移ります。武士になる事をやめて浄瑠璃の世界に身を投じ、浄瑠璃作者を目指します。近松余七の名で作品をいくつか合作しますが、うまく行かずに、30歳頃、再び、江戸を目指します。
江戸では版元の蔦屋重三郎の所に居候して、吉原などで遊びながらも、当時、売れっ子だった山東京伝の滑稽本の挿絵を描いたりしています。絵は自己流らしいですが、浮世絵も何枚か売り出したようです。
31歳の正月、初めて黄表紙を売り出し、以後、毎年、黄表紙を発表しています。黄表紙というのは大人向けの絵本のようなもので、絵も自分で描いていました。当時、敵討ち物や怪談物が流行っていてたようです。毎年、20作品前後の黄表紙を売り出していましたが、これと言ったヒット作はありませんでした。
37歳の時、滑稽本の「浮世道中膝栗毛」を書いて版元に持って行きます。本人もそれほど期待していなかったのですが、これが大いに受けて、増刷が間に合わないほどに売れまくります。
滑稽本というのは文章が中心の読物で、洒落本から発達したものです。洒落本は吉原とか深川の色町を題材にした読物ですが、取締りが厳しくなったので、色町以外を舞台に庶民の生活を面白おかしく書くようになって行きました。式亭三馬の「浮世風呂」や「浮世床」が有名です。
翌年の正月、「東海道中膝栗毛」と題名を改めての続編を発表し、以後毎年、続編を書き続け、完結したのは20年後の事でした。勿論、「膝栗毛」だけではなく、毎年、数多くの作品も書いていました。
晩年は人情本なども書いていましたが、「膝栗毛」以上のヒットはなく、おまけに病気になって手足も自由にならなくなり、67歳で淋しく世を去って行きました。
十返舎一九の年表
十返舎一九集 十返舎一九全集新装版






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