2006年04月19日

村田珠光

茶の湯の開祖、村田珠光(じゅこう)も一休門下の変わり者と言えるでしょう。
奈良に生まれて幼い頃より寺に入れられますが、20歳の頃、破門になって寺を追い出されます。
諸国を放浪して回り、25歳の頃、京都に草庵を立てて南星庵と号して落ち着きますが、何をしていたのかわかりません。道行く人たちにお茶を点てていたのかもしれません。
30歳の頃、大徳寺の一休禅師の弟子になって、厳しい修行に耐え、休心珠光という名を授かります。
34歳の時、将軍お抱えの絵師、能阿弥に弟子入りして、唐物の目利きを学びます。さらに、志野宗信の弟子になって香道も学びます。
41歳の時には茶の湯の師匠として、八代将軍、足利善政に迎えられます。
応仁の乱が始まると、京都を離れて奈良に戻り、還俗して、村田珠光を名乗ります。茶の湯は俗世間にありと悟ったわけです。
珠光以前の茶の湯は、お茶は別の場所で点てて、書院の間で飲ませていました。珠光は客の前でお茶を点てる事を始めました。これが、将軍義政に気に入られたのです。
将軍とは名ばかりで、何もかも自分の思い通りにならない将軍にとって、自らお茶を点てて、武将たちに飲ませてやるという事が嬉しくてたまらなかったのです。
武将たちも喜んで、将軍直々に点てた茶を感激して飲みました。自分たちが感激したのだから、部下たちも自分が点てたお茶を飲めば感激するだろうと誰もが思い、武士の世界に茶の湯は流行って行くわけです。
珠光はさらに、広い書院の間で飲んでいた茶の湯を狭い四畳半の茶室に移し、禅に通じる『侘び』を強調しました。将軍もそれは面白いと同意して、狭い茶室でお茶を点てるようになります。
茶の湯の世界では、俗世間の身分差もなく、皆、平等であると珠光は主張して、上段の間でお茶を点てていた将軍を上段の間から下ろす事に成功します。
俗世間で身分差があっても、茶室の中では、亭主と客という対等の立場になるという事を見事に証明してみせたのです。
珠光の弟子には、夢庵肖柏、一路庵禅海、粟田口善法、篠道耳、石黒道提、天王寺屋宗柏などがいます。

 村田珠光の略歴

陰の流れ第三部・本願寺蓮如

※珠光は陰の流れ第三部・本願寺蓮如の13.小野屋2に登場します。


茶の湯の祖、珠光  珠光 茶道形成期の精神    中世を創った人びと  茶の湯の心


珠光文琳  掛け軸 和敬清寂  珠光棗  上杉瓢箪
タグ:茶の湯
posted by 酔雲 at 19:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦国時代>人物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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