2006年04月14日

夢庵(牡丹花)肖柏

一休禅師の周りには変わり者が何人もいましたが、連歌師の夢庵もその一人です。角に金箔を塗った牛に乗って漂泊の旅をしていたと伝えられている変わり者です。
生まれは中院家という身分の高いお公家さんで、幼い頃より宮廷に出入りし、お家芸の和歌を嗜んでいました。
二十歳の頃、連歌師の心敬の弟子になり、何年かして、侘び茶の村田珠光の弟子になります。器用で頭もいいのか、連歌も茶の湯も一流と言われる程の腕になります。
25歳の時、応仁の乱が起こって、池田氏に誘われて摂津の国の池田庄に難を避けます。その頃、夢庵という庵に住み、夢庵と号します。
豊富な知識と連歌や茶の湯の腕で、各地の大名に招待されてはフラフラと出掛けたりしていましたが、30歳を過ぎて、もう一度、連歌の修行をしようと、種玉庵宗祇に弟子入りします。
当時、宗祇は連歌の第一人者でしたが、まだまだ、自分は修行の身と言って、古典に没頭していました。夢庵は何とか粘って、宗祇の一番弟子になります。二番弟子になったのは柴屋軒宗長です。
三人は共に旅をしながら、連歌の名作を幾つも残します。
師の宗祇が亡くなった後は堺に住み、堺の豪商たちに連歌や茶の湯の指導をしたり、気の向くままに旅に出たりしていました。
晩年に、牡丹花、弄花老人と号します。花を愛し、酒も愛したようです。肖柏という名は一休禅師に貰ったといわれています。
一休禅師と同じように、85年の人生を何のこだわりもなく、飄々と過ごしたようです。

 夢庵(牡丹花)肖柏の略歴

陰の流れ第二部・赤松政則


連歌とは何か  連歌師宗祇の実像  新編日本古典文学全集(61)  室町和歌への招待
ラベル:連歌師 茶の湯
posted by 酔雲 at 14:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦国時代>人物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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