2006年04月13日

伊勢新九郎はなぜ、早雲と号したのか?

将軍になるはずだった足利義視の申次衆だった伊勢新九郎は、自分の事しか考えない武士というものに嫌気が差して、武士をやめ、頭を丸めて旅に出ます。その時、「早雲」と号しているのですが、なぜ、「早雲」なのか、色々な書物をあさってみても、答えは見つかりませんでした。
そこで、私は考えてみました。武士から出家した人で有名なのは西行法師です。新九郎も西行にならって旅に出たのだと思いますが、「東行」とは号していません。
当時、京都で有名だった一休禅師が一時、狂雲と号していました。幕府に仕えていた頃、新九郎は狂雲と名乗っていた一休と出会い、感化されたのかもしれません。一休のように、自由な境地で生きたいと「雲」を号したのだろうと思います。ただ、なぜ、「早」なのか? 早い雲とは何なのか?
「早」という字には、夜明けという意味もあり、夜明けに、ポッカリと浮かんでいる雲を自分に例えたのでしょうか。
40歳になっても自分の出番がないと諦めた新九郎は、あと20年遅く生まれていたなら、出番があったかもしれないと思い、早すぎた雲と号したのではないでしょうか。
他に「雲」を号している人に、無住心剣流の剣客、針ヶ谷夕雲と願流の剣客、松林無雲がいます。まだいるでしょうが、思い出せません。
ちなみに、「酔雲」の「雲」は早雲さんから頂きました。「酔」は勝海舟の親父さん、勝夢酔さんから頂きました。

 陰の流れ第一部・陰流天狗勝―早雲

 陰の流れ第二部・赤松政則―駿河

 陰の流れ第三部・本願寺蓮如―早雲庵


北条早雲とその一族  西行の旅路  一休  夢酔独言
ラベル:武将
posted by 酔雲 at 10:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦国時代>人物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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