2006年04月07日

北川殿

早雲の実の妹である北川殿の本名は伝えられていません。
今川義忠が京都から輿入れして来る花嫁のために、北川のほとりに屋敷を建てたので北川殿と呼ばれています。
早雲の実の妹と言っても、年齢は20も離れていて、しかも、北川殿が生まれた時、早雲は京都の伊勢家に居候していました。
備中の国の伊勢家に生まれた北川殿は美しい子供だったため、幕府の政所執事を勤めている京都の伊勢家の養女となって京都に来ます。
京都の伊勢家の娘として大切に育てられ、居候していた兄の早雲とは会うこともできなかったでしょう。
北川殿は成長して美しい娘となり、応仁の乱で京都に来ていた今川義忠に見初められて駿河の国へと嫁いで行きます。当事、兄の早雲は次期将軍職を約束された足利義視の申次衆を勤めていたので、二人の出会いを演出したのかもしれません。
京都から遠く離れた駿河の国に嫁いだ北川殿は駿河の人々に大歓迎されます。名門である伊勢家から嫁いだことと、その美貌が、お屋形様にふさわしい花嫁だと誰もが認めました。それでも、もう二度と京都へは帰れないと思うと心細く思うこともありました。そんな時、突然、兄が訪ねて来たのです。京都にいた時、あまり会うこともなかったけれど、やはり、血を分けた兄妹です。北川殿はどんなにか嬉しかったことでしょう。
北川殿は武士をやめて僧侶となった早雲を引きとめます。早雲も居心地がよかったので、腰を落ち着けてしまいます。
夫の今川義忠が不慮の戦死を遂げなければ、北川殿も普通の武将の妻として平和な一生を送ったことでしょう。そして、兄の早雲も世に出なかったかもしれません。
跡継ぎの氏親を産んだ五年後、義忠は41歳の若さで戦死してしまいます。悲しみに暮れる間もなく、家督争いに巻き込まれ、北川殿は我が子のために、そして、今川家のために、兄早雲の力を借りて、全力を尽くして頑張って行くのです。

 陰の流れ第一部・陰流天狗勝―早雲

 陰の流れ第二部・赤松政則―駿河

 陰の流れ第三部・本願寺蓮如―早雲庵


戦国大名今川氏と領国支配  戦国期静岡の研究  今川氏の研究  今川義元  戦国を往く連歌師宗長
ラベル:戦国の女性
posted by 酔雲 at 10:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦国時代>人物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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