初代小太郎が早雲の陰となって働いて以来、首領は代々、小太郎を名乗り、北条家のために諜報活動を行なって来ました。
風摩小太郎とはどんな男だったのか?
一流の忍びなので、素性はまったくわかりません。早雲が伊豆に攻め込んだ時には、すでに陰として活躍していたものと思われるので、早雲が今川家の家督争いに活躍した時に呼んだのか、あるいは噂を聞いて、早雲を慕って来たのだと思います。
当事はまだ、伊賀や甲賀の忍びは有名ではないので、山の中を走り回っていた先達と呼ばれる山伏だったのではないでしょうか。修験道の本場、大和の大峯山で厳しい修行を積んだ山伏だったのかもしれません。
風摩という姓ですが、孫子の風林火山の風と摩利支天の摩を合わせたのではないかと思います。孫子は兵書として有名でしたし、摩利支天は自ら姿を隠して勝利をもたらす武術の神として祀られていました。速きこと風のごとく、摩利支天のように姿を隠して活躍するという意味を込めているのではないでしょうか。小太郎の本名が風間小太郎で、カザマを音読みにして、間を摩利支天の摩に変えただけかもしれませんが。
早雲と小太郎はただの主従関係ではなく、もっと強いつながりで結ばれていたように思います。早雲の夢見る新しい国造りに賛同して、決して表には出ないで、陰に徹して来たのでしょう。小太郎は早雲の次なる行動を見越して敵の情報を集め、時には、敵将の暗殺などもして、早雲を一国一城の主にします。そして、相模の国、武蔵の国へと夢を広げていきます。
しかし、早雲と初代小太郎との関係は二代目、三代目になるに従って、初代の時のような強い結びつきはなくなって行きます。初代の頃は早雲の考える事は早雲が一々言わなくても、小太郎にはわかりました。ところが代を追うごとに、北条家の当主と小太郎とのつながりは弱くなって、一々命じなくてはならなくなります。また、北条家が大きくなるに従って、小太郎の忍び集団も大きくならざるを得ない状況となり、同時に多方面での活動をしなければならず、組織を統一して行くのも難しい状況となって行きます。そして、100年後には詳細な情報を集める事ができずに、北条家は豊臣秀吉に滅ぼされてしまいました。

※「陰の流れ」では、風摩小太郎は風眼坊という大峯山の山伏で登場します。




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