三十代の頃、伊勢新九郎という名で幕府に仕え、将軍になるはずだった足利義視の申次衆を勤めています。応仁の乱の頃です。悲惨な戦を目の当たりにして、無能な幕府や武士に嫌気が差し、頭を丸めて早雲と名乗り、旅に出ます。早雲、四十歳の時です。
五十年の寿命といわれていた時代で、半ば、人生を諦め、西行法師を真似て、漂泊の旅に出たわけです。
駿河の国まで来て、今川家の当主に嫁いだ妹に会おうか迷いますが、妹に子供が生まれたと聞いて、意を決して会いに行きます。妹に歓迎され、居心地もよかったため、早雲は駿府から少し離れた小河庄に庵を立てて暮らす事になります。
駿河に居ついて四年後、妹の主人、今川義忠が戦死してしまいます。跡継ぎの竜王丸はまだ六歳、竜王丸の伯父である早雲は今川家の家督争いに巻き込まれます。幕府とのつながりのある早雲のお陰で、竜王丸は正式な跡取りと認められ、早雲は今川家の武将として活躍します。
元服して氏親を名乗った竜王丸も一人前となったのを見て、早雲は伊豆の国に攻め込みます。戦乱の絶えない隣国を黙って見ていられなかったのでしょう。早雲は民衆のために新しい国を作ろうと決心したのです。早雲、六十歳の時です。
伊豆の国をまとめ、さらに、相模の国を攻め取り、武蔵の国へと進出しようとしていた1519年、早雲は八十八歳の大往生を遂げます。
早雲の跡を継いだ新九郎氏綱は江戸城を攻略した後に北条姓を名乗ります。関東に新しい国を創るに当たって、伊勢氏では関東の武将たちをなびかせるのは難しいと考えた早雲が伊豆の国で鎌倉の北条氏の末裔の女性を見つけ、氏綱の嫁に迎えたと伝えられています。
伊勢早雲の略歴







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