生まれたのは明応二年で、その年、父の早雲は伊豆の国を攻め取り、今川家から独立して、戦国大名としての道を歩み始めます。
幼名は菊寿丸といい、幼い頃より喝食として箱根権現に入れられます。
当事の箱根権現は大勢の山伏や僧兵を擁して多大な領地と武力を持っていました。相模の国に進出して行こうとしている早雲にとって邪魔な存在でした。そこで、幻庵を別当職にして、箱根権現の権力の解体を考えたのです。
別当職になるために修行を積んでいた幻庵でしたが、途中で還俗して三郎を名乗ります。小机城主として活躍しますが、早雲の死後、再び、出家して京都で修行をし、箱根権現の別当職に就きます。11年余り、別当職を勤めて役目を果すと隠居して幻庵を名乗ります。
のんびりと隠居するはずでしたが、三年後、当主だった兄の氏綱が亡くなってしまいます。幻庵は跡を継いだ氏康の後ろ盾として、再び、表に立たなくてはなりませんでした。
幻庵が60歳の時、北条氏康は関東管領の上杉氏を倒して、上野の国まで進出して行きます。その前線を守ったのが幻庵です。幻庵は上杉氏の本拠地だった平井城に入り、二年後には厩橋城に入ります。幻庵は沼田の倉内城も攻め取り、上野の国の利根川以東は北条領国になります。この時、上泉伊勢守も北条方となり、多分、幻庵と親交を深めた事でしょう。
幻庵が上野の国にいたのは9年近くにもおよび、永禄三年(1560)の9月、越後の長尾景虎(後の上杉謙信)が管領を伴って出陣して来ると敗退して、小田原に引き上げます。その後も隠居する事なく、長老として活躍します。
幻庵の屋敷は小田原城下ではなく、箱根の入口にあたる久野にあります。幻庵は北条家の裏の世界を仕切っていたのではないかと思います。北条家の忍び集団の頭に風摩小太郎がいますが、小太郎に指令を下していたのが幻庵だったのではないかと私は思っています。
幻庵は98歳まで生き、初代の早雲から五代目の氏直まで、北条家のすべてを見てきています。幻庵の死後、一年余りで、北条家は豊臣秀吉に滅ぼされました。
北条幻庵の略歴






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「祐泉寺」のホームページ拝見いたしました。
幻庵の次男、新三郎は若くして戦死してしまいましたが、お寺を開基していたとは知りませんでした。知らせていただきありがとうございます。