2006年03月10日

愛洲移香斎

まずは愛洲移香斎の話から行きましょうか。
愛洲移香斎は言わずと知れた陰流の流祖です。現在の剣道の源流とも言えるでしょう。
移香斎の本名は愛洲太郎左衛門久忠といい、生まれは伊勢の国(三重県)の南端、五ケ所浦で、応仁の乱(1467年)が始まる15年前に生まれています。
愛洲氏は南北朝の頃、伊勢の国に入ってきた北畠氏を助けて、南朝方として活躍して名をあげます。「太平記」にも愛洲氏の名は出てきます。
五ケ所浦は当時、伊勢神宮の南の入口として栄えていました。大勢の参拝者が熊野や遠く九州の方からも船でやって来ました。愛洲氏は水軍を持って、船の出入りを管理していたのです。
移香斎も水軍の出身だと思われます。32歳の時、日向の国(宮崎県)の鵜戸神宮で開眼して、陰流を開きますが、水軍に関係していたからこそ、鵜戸神宮に行ったのだと思います。
移香斎の編み出した陰流は、上野の国(群馬県)の上泉伊勢守に伝えられ、伊勢守はさらに工夫して、新陰流を開きます。伊勢守は武将でしたが、晩年、新陰流を広めるために旅に出て、大和の国(奈良県)で、柳生石舟斎と出会います。石舟斎の才能を認めた伊勢守は彼にすべてを授けます。石舟斎に伝えられた新陰流は子の但馬守に伝えられ、但馬守は徳川幕府の武術指南役となります。幕府に認められた新陰流は門弟が増え、全国各地へと広まって行ったわけです。

陰の流れ・愛洲移香斎

摩利支天の風〜若き日の北条幻庵


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タグ:武芸者
posted by 酔雲 at 19:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦国時代>人物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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