2009年07月08日

村を襲った空襲で‥‥

沖縄二高女看護隊・チーコの青春 第3部―6.空襲」より村を襲った空襲で‥‥


 ひどい有り様だった。石垣は崩れ、その下に血だらけの人が埋まっていた。道路には飛び散った手足が落ちていて、破壊された民家の中は血だらけだった。硝煙の臭いと血の臭いが立ち込め、正視できない悲惨な地獄絵が目の前にあった。

 今朝、足の治療をしてやった女の子が首をもがれて死んでいた。側にいた母親は下半身しかなく、おばあさんのおなかからは内蔵がすべて飛び出していた。一緒にいた別の二家族も皆、悲惨な死に様で亡くなっていた。赤ん坊を連れていた母親は赤ん坊に覆いかぶさるようにして亡くなっている。赤ん坊は血だらけで、母親は片腕がもげ、顔も半分なくなっていた。まだ若く綺麗な顔をしていた母親だった。爆風で吹き飛ばされたのか裸同然の姿だった。

 千恵子たちは恐ろしさで動く事もできず、呆然と立ち尽くしていた。こういう悲惨な光景は以前も見た事はある。でも、それは兵隊たちだった。戦闘員ではない一般の人々、しかも、女の人や子供たちのあまりにも惨(むご)い死に方を見て、千恵子たちは恐ろしさに震えた。どうして、女子供がこんなひどい目に会わなくてはならないのか、敵への憎しみが今まで以上に湧き上がって来た。

「しっかりしろ」と西村上等兵が怒鳴った。「君たちは看護婦なんだろ」

 千恵子たちはうなづいて、家の中に上がった。一人一人確認したが、生きている者はいなかった。隣の民家もひどかったが生存者がいた。できるだけの治療をして、次へと回った。被害を受けていない民家もあり、あちこちから逃げて来た人たちが集まって、皆、気の抜けたような顔して思い思いの場所に座り込んでいた。

 浩子おばさんたちも師範女子の生徒たちを連れて治療して回っていた。お互いに無事だった事を喜び、ひどいわね、頑張りましょと言って別れた。怪我人よりも死亡者の方が圧倒的に多かった。せっかく生き残って治療をしてやっても先の事はわからなかった。このまま民家にいたら、またやられてしまう。でも、避難する壕はどこにもない。可哀想だけど、どうしようもなかった。

 千恵子たちが隠れていた石垣は粉々になっていた。あの後、誰かが隠れたとみえて、血だらけになり、あちこちに人間の肉が飛び散っていた。

 千恵子たちは壊れた石垣を越えて隣の民家へと行った。そこもひどい有り様だった。避難民たちが折り重なるように死んでいた。全滅だと思って立ち去ろうとした時、「水を」という声が聞こえた。振り返ると辛うじて残っている壁の側に横になっている中年の女の人だった。血だらけの顔で微かに右手を動かしていた。体中に破片が刺さって、両足がもぎ取られていた。出血もひどく助かる見込みはなさそうだった。

 千恵子たちは顔を見合わせ、うなづくとトヨ子が水筒の口を開けて、女の人に近寄った。すでに水筒を持つ力もなく、トヨ子が水を飲ますと苦しそうに一口飲み、「ありがとう」と言って事切れた。千恵子たちは両手を合わせて冥福(めいふく)を祈った。丁度、千恵子たちの母親位の年齢だった。近くに二人の子供が死んでいた。十歳位の女の子と七歳位の男の子だった。

「写真だわ」と言って初江が女の子の手の下にある血だらけの紙切れを手に取った。

「ごめんね」と言って初江は紙切れの血を女の子のモンペで拭き取った。

 家族が揃っている写真だった。両親と祖母、中学生らしい男の子と女学生らしい女の子と今、ここにいる二人の子供が写っていた。父親は防衛隊に取られ、中学生は鉄血勤皇隊、女学生は看護婦になり、母親は下の二人の子供を連れて、ここまで逃げて来たに違いない。祖母の姿はここにはなく、途中ではぐれてしまったのか、死んでしまったのかもしれない。まるで、自分たちの家族の最期を見ているような気がした。


小さな生き証人  生還  日本の戦争遺跡  図説東京大空襲  


posted by 酔雲 at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説の中の衝撃的な場面 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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