2009年05月24日

那覇を襲った十・十空襲

沖縄二高女看護隊・チーコの青春 第1部―2.十月十日」より那覇を襲った十・十空襲


 二時近くになって、やっと静かになった。千恵子は防空壕から出て、屋根の上を見上げた。康栄と栄一と伯父さんは屋根の上に座り込み、ポカンとした顔で那覇の方を見ていた。庭からだと黒い煙が見えるだけでよく見えない。黒い空の中、血のような色をした太陽が浮かんでいた。千恵子はハシゴを登った。

「ひでえよ」と康栄が顔を歪めた。

 千恵子は康栄の隣に座り込むと恐る恐る那覇の方を見た。

 松尾山からも煙が立ち昇っていた。二高女だか国民学校だか病院だかわからないが、どこかに爆弾が落ちたようだった。病院にいる姉は大丈夫なのか心配になった。千恵子の家のある久茂地(くもじ)町は無事のようだが、港の近くの通堂(とんどう)町、西新町、西本町、東町、上之蔵(うえのくら)町、辻(つじ)町、そして、対岸の垣花(かきのはな)町辺りは燃えているようだった。それに、高射砲陣地のある城岳の辺りも煙を上げている。城岳の近くには二中があり、父のいる県庁も近くだった。

「四回目から那覇の街を攻撃し始めたんだ」と康栄は言った。「畜生、友軍の姿なんか全然見えねえ。今度、敵が来たら那覇は全滅になるぞ」

「そんな‥‥‥」

「だって見ろよ。敵は焼夷弾(しょういだん)て奴をばらまいてんだぜ。風も出て来たし次々に燃えちゃうよ」

 千恵子は家に残して来た服やまだ新しい革靴、祖父が大事にしている三線(さんしん)、祖母が大事にしている銀のジーファー(簪(かんざし))、父が大事にしている写真機、母が大事にしている上等な着物、その他様々な物を思い浮かべた。それらが皆、燃えてしまうなんて考えたくもなかった。空を見上げ、大雨でも降ってくれればいいと願った。しかし、首里の上空は那覇の上とはまったく違って青空が広がっていた。

 警防団員の人が来て、那覇から大勢の避難民が首里に押し寄せて来たと知らせた。彼らの避難場所を手配しなければならないので手伝ってくれと頼まれ、伯父さんは康栄と栄一を連れて、どこかに行ってしまった。千恵子は一人、屋根の上に取り残され、燃える那覇の街を呆然と眺めていた。

 燃えている辺りに友達の家があった。みんな、無事に逃げただろうか。住む家をなくしたら学校にも来られなくなってしまうのではないだろうか。あともう少しで卒業できるというのに可哀想だった。どうして、こんな目に会わなけりゃならないの。那覇の人たちが一体、何をしたっていうの。どうして、こんなひどい事をするのよ。

 どれくらい時間が経っただろう。西の方からブーンという恐ろしい響きがまた聞こえて来た。見上げると敵の大編隊が我が物顔で飛んでいる。さえぎる者もなく余裕しゃくしゃくで那覇の上空まで来て爆弾を次々に落とし始めた。港や飛行場は壊滅してしまったのか、そちらに行く気配はなく、那覇の街を無差別に攻撃していた。松尾山も攻撃されて煙が上がった。崇元寺や壷屋(つぼや)の辺りも攻撃されている。少しづつ首里の方に近づいて来るような気がして、千恵子は慌てて屋根から降りて防空壕に駈け込んだ。

 五度目の空襲は一時間位続いた。四時頃、皆が止めるのも聞かず、防空壕から飛び出して屋根に上がってみた。そこからの眺めは悪夢だった。自分の家だけは大丈夫だと信じていたのに、それは儚(はかな)い夢と消え果ててしまった。

 那覇の街は火の海になり、辺り一面、物凄い煙を吐いていた。久茂地町も松尾山も市役所や山形屋デパートも郵便局も那覇駅も県庁も皆、火の海の中にあった。

 燃えている那覇の街を見ているうちに涙が知らずに流れて来た。千恵子は屋根の上に座り込んだまま泣き続けた。


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posted by 酔雲 at 22:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説の中の衝撃的な場面 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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