2009年05月12日

安土の城下

時は今‥‥石川五右衛門伝 1.飛んでる娘」より安土の城下


 琵琶湖に突き出た丘の上に華麗な楼閣(ろうかく)がそびえている。

 その豪華さは、この世のモノとは思えない程、素晴らしく、とても、言葉では表現できない程、美しかった。

 五年前まで、人家もまばらな辺鄙(へんぴ)な土地が今、誰もが注目する都となっていた。

 安土(あづち)である。

 尾張(愛知県)出身の英雄、織田信長は破竹の勢いで、群がる敵を打ち倒し、清須から岐阜、岐阜から京都へと進出したが、京都に留まる事なく、琵琶湖畔の安土の地に本拠地を置き、城下町を建設した。丘の上に石垣を積み上げ、五層建ての豪華な御殿を築き、それを天主と命名した。

 城下には家臣たちの屋敷が並び、各地から集まって来た商人や職人たちが、新しい町を作っていた。町々は活気に溢れ、人々は城下の象徴である輝く天主を見上げながら、信長のお陰でようやく、戦乱の日々も終わったと安堵の日々を送っていた。

 梅雨の上がった夏晴れの朝、職人たちの町への入り口に当たる鎌屋の辻と呼ばれる大通りの四つ角で、見るからに変わった二人の娘が深刻そうな顔付きで話し込んでいた。

 二人共、足丸出しの丈(たけ)の短い単衣(ひとえ)を着て、腰に巻いた白い帯の結び目を横に垂らしている。長い髪には蝶々のようなリボンを結び、旅支度をしているつもりか、小さな包みを背負って、杖(つえ)を持っていた。

 一人は赤い朝顔模様の単衣に赤いリボン、もう一人は青い朝顔模様の単衣に青いリボンを付け、好みの色は違うが、顔付きも体付きもそっくりだった。

「じゃア、気イ付けてネ」と赤いリボンの娘が跳びはねた。

「あんたもネ」と青いリボンの娘も跳びはねた。

「うまくやりましょ、ネ」

 二人はうなづくと、天主を見上げてから、手の平をポンとたたき合って別れた。

 青いリボンの娘は京都へと続く街道に向かい、赤いリボンの娘はしばらく、青いリボンの娘を見送っていたが、首から下げた十字架をそっと握るときびすを返した。

 赤いリボンの娘が青いリボンの娘を見送った後、少し離れて立ち話をしていた二人の山伏が、何気ない仕草で、一人は青いリボンの娘を追い、もう一人は赤いリボンの娘を追って行った。さらに、荷物をかついだ旅の薬売りが二手に分かれて、山伏を追っていた。

 鎌屋の辻を二町(ちょう)(約二百メートル)程、北上するとまた大通りにぶつかる。その大通りは城と港を結ぶ主要道で、通りの両側には商人たちの屋敷や蔵、そして店が並んでいた。

 東に行けば、百々(どど)橋を渡って城内へと入る。石段を登って仁王門をくぐり、さらに登ると建築中のハ見寺(そうけんじ)がある。さらに登って、黒鉄(くろがね)門を抜けると二の丸、本丸、天主へと続いていた。

 西に行けば、大きな船がいくつも浮かぶ、賑やかな港へと出る。港に面して納屋(なや)と呼ばれる倉庫が幾つも建ち並び、各地から様々な物資が集まっていた。羽柴(はしば)藤吉郎秀吉の城下、長浜や明智十兵衛光秀の城下、坂本へ向かう船もそこから出航していた。


復元安土城  よみがえる安土城  織田信長事典コンパクト版  


ラベル:時は今‥‥
posted by 酔雲 at 10:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説の中の名場面 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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