早雲は京を出ると、一休のいる薪(たきぎ)村(京都府田辺町)の酬恩庵(しゅうおんあん)に向かった。
一休は早雲の事を覚えていてくれた。しかし、教えを請う事はできなかった。一休はお森(しん)という盲目の女と一緒に暮らしていた。
早雲は一瞬、目を疑った。一休ともあろう禅師が女犯(にょぼん)を犯していた。早雲も一休の風変わりな行ないは知っていた。しかし、それは、今の禅宗の在り方を批判するための行動だと思っていた。まさか、実際に、女と一緒に暮らしているとは思ってもいなかった。
早雲は、一休とお森という女のやり取りを見ながら、見なければよかったと後悔した。
早雲はほんの少しの間、一休と話をしただけで酬恩庵を後にした。
一休を見損なった、と思った。
昔はあんな人ではなかった、と思った。
一休の禅こそ、本物だと信じていた。
一休は、どうして、あんな風になってしまったのだろう。
早雲は歩きながら考えていた。考えながら、本物の禅とは一体何なんだろう、と思った。
女と一緒に暮らせば、禅者ではなくなるのだろうか。
禅とは、そんなものではないはずだった。
禅とは何か、という答えを見つけるため、早雲はもう一度、酬恩庵に戻る事にした。
早雲は一休とお森の仲睦まじい生活を見守りながら、本物の禅とは何か、真剣に考えた。
座禅をするだけが禅ではない。
常住坐臥(じょうじゅうざが)、すべてに置いて禅の境地でいなければならないはずだ。
禅は大寺院の中にいる坊主だけのものではない。人間本来の姿で生活し、その生活の中に生きていなければ無意味と言えた。
一休は本物の禅をさらに進め、それを実践しているのかもしれない‥‥‥と早雲は考え直した。
形式にこだわり過ぎていたのかもしれないと思った。世を捨て、禅の世界に生きようと、頭を剃って禅僧のなりをした。確かに禅僧の格好をしていれば、回りは早雲を禅僧と見てくれた。正式に出家したわけではなかったが、駿河では早雲禅師で通っていた。回りから偉い和尚さんだと言われ、得意になっていた。しかし、反面、偽者だとばれやしないかと心配した事もないわけではなかった。今回、一休を訪ねたのも、本当の所を言えば、一休の正式の弟子となって、できれば、一休から印可状を貰い、本物の禅僧になりたかったからだった。そんな思いで訪ねた一休の姿を見て、早雲は初め、失望した。しかし、そのうちに、一休に思いきり殴られたような衝撃を感じるようになって行った。
早雲は自分がかつて一休と共に語った堕落した禅僧というものに、知らないうちに自分が近づいていたという事に気づいた。二人が語った堕落した禅僧というものは、ろくに修行もしないで、師匠からの印可状ばかり欲しがり、禅僧とは名ばかりで俗世間において出世する事ばかり考えている者たちの事だった。
禅の世界は自力本願だった。自分の力で悟らなければならず、決して、人から教えられて分かるものではなかった。たとえ師匠であっても、助ける事はできるが教える事はできない。
一休から見れば、印可状などというのは、単なる自己満足でしかない無用な物であった。禅僧とはいえ、心というものは脆い。自分が開いた悟りを誰かに認められたいと誰もが思う。そして、師匠から印可状を貰って、初めて悟った事を確信する。しかし、一度、悟れば、それで終わりというわけではない。人間、生きている以上、次々に悩みは生まれて来る。それを次々に乗り越える事によって、さらに大きな悟りの境地に達する。悩み、悟り、そして悩み、また悟る、生きている以上、その繰り返しだった。
本物の禅には印可状など、ないはずだった。
早雲はその印可状が欲しいために、ここを訪れ、一休の姿を見て、思いきり殴られたような衝撃を感じ、そんな事を考えていた自分を恥じた。一休は自分が考えていた以上に先を歩いていた。早雲は俗世間における形式にこだわっていた自分を恥じた。
早雲も男だった。女を見ても何にも感じないような木偶(でく)の坊ではなかった。しかし、僧侶の振りをしているため、今まで色欲(しきよく)を抑えて来た。禅僧として、それが当然な事だと思っていた。禅僧としては当然かもしれないが、それは、本物の禅とは言えなかった。
本物の禅とは、何事にも縛られない、融通無碍(ゆうづうむげ)の境地の事だと思った。欲望を抑えて女を避けているうちは融通無碍の境地とは言えない。何人もの女に囲まれながらも、心を奪われないような境地にならなければならないのだった。
何事にも囚われず、まったくの自由な境地‥‥‥
その境地まで行くのは、決して簡単な事ではない。しかし、本物の禅の境地とは、そのようなものに違いないと悟った。
一休は八十歳を過ぎ、まさしく、その境地に達しようとしているのであった。すでに、融通無碍の境地の中で、お森という女と遊んでいるのかもしれない。
早雲は一休だけでなく、お森という盲の女も観察していた。この女も一休と同じ境地にいるように思えた。目が見えないため、一休のように苦労しなくても、その境地にたどり着く事ができたのかもしれなかった。
早雲は晴れ晴れした気持ちで酬恩庵を後にした。






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