甲賀に帰った月丹は岩尾山や油日岳に籠もって厳しい修行を重ねた後、江戸に出て道場を開きます。
厳しすぎる教えで道場は流行りませんが、月丹はさらに心の修行をするために麻布の吸江寺の石潭和尚のもとで禅の修行を始めます。
参禅を続けて十数年、45歳の時に月丹は悟りの境地に達して、自らを「一法無外」と号し、剣術を「無外流」と号します。
無外流と号してからは道場も大いに流行り、大名家からも教えを請われ、門弟の数は5000人を超えたと言われています。
享保12年(1727年)6月23日、月丹は79歳で没し、高輪の如輪寺に葬られました。
ラベル:武芸者