伊藤一刀斎は天文19年(1550年)に伊豆の大島に生まれたと伝えられますが、確証はありません。
大島から泳いで伊豆に渡った一刀斎は三島大社の床下に住みついて、富田(とだ)一放という武芸者を倒し、越前に赴いて富田(とだ)流の富田勢源の弟子、鐘捲自斎の弟子になって印可を得ます。さらに鎌倉の鶴岡八幡宮に籠もり、極意を悟って一刀流を開眼します。
廻国修行に出た一刀斎は小野善鬼と御子上典膳という若者と出会い、二人を弟子にして旅を続けます。後に善鬼と典膳は試合をして、典膳が勝ち、一刀流を伝授されます。典膳は一刀斎の推挙で将軍徳川秀忠の剣術指南役となり、晩年には小野次郎右衛門と改名します。
一刀流は小野派一刀流、忠也派一刀流、中西派一刀流、水戸派一刀流、溝口派一刀などに枝分かれして相伝され、幕末には千葉周作の北辰一刀流、山岡鉄舟の無刀流が生まれます。
ラベル:武芸者
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