林崎甚助は抜刀術(居合)の始祖で、田宮流を開いた田宮平兵衛、伯耆流を開いた片山伯耆守、無楽流を開いた長野無楽斎、関口流を開いた関口柔心、一宮流を開いた高松勘兵衛は皆、甚助の弟子たちです。
甚助は天文年間(1532年〜1555年)の半ば頃、出羽の国の林崎村(山形県村山市)に生まれたと伝えられています。
幼少期に父親を殺され、父親の仇を討つために剣術の修行に励みます。元服後、武術の本場である鹿島に行って神道流を学び、さらに、鎌倉でも修行を積みます。しかし、納得が得られず、帰郷して地元の林崎明神に参籠し、工夫を重ねて抜刀術の奥義をきわめます。
仇を求めて旅に出た甚助は京都で仇と巡り会い、見事に討ち果たしますが、その後も諸国修行の旅を続けながら立派な弟子たちを育てます。
元和3年(1617年)7月、川越にいた高松勘兵衛のもとを去って奥州へと旅立ち、以後、消息を絶ちました。
ラベル:武芸者