松山主水の祖父は軍師竹中半兵衛の従弟で、半兵衛の旗本として戦で活躍します。半兵衛の死後、浪人となった祖父は各地を流浪した後、豊臣秀吉の斡旋で加藤清正に仕えます。朝鮮にも出兵して活躍しますが、剣術を極めるために再び、浪人となって鎌倉に隠棲します。
父親は早世し、祖父に育てられた主水は幼い頃より剣術を仕込まれ、二階堂流平法の極意を伝授されます。
寛永6年(1629年)頃、主水は剣術指南役として細川家に仕えます。一千石の禄を貰い、藩士たちの剣術指導にあたりますが、細川父子の争いに巻き込まれて、寛永12年(1635年)10月に暗殺されてしまいます。その時、何歳だったのか不明です。
二階堂流平法では初伝を「一文字」、中伝を「八文字」、奥伝を「十文字」といい、秘伝として「心の一方」と呼ばれる気合の術があります。敵の気の流れを止めて動けなくしてしまう術で、主水の後、誰にも伝わりませんでした。
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