雨の中、決闘は始まった。
山伏姿の太郎は刀を中段に構えて松阿弥を見ていた。
松阿弥は杖に仕込んであった細く真っすぐな剣を胸の前に、刀身の先を左上に向け、斜めに構えていた。
お互いに、少しづつ間合いを狭めて行った。
二人の間合いが二間(けん)になった時、二人は同時に止まった。
太郎は中段の構えから左足を一歩踏み出し、刀を顔の右横まで上げ、切っ先を天に向けて八相の構えを取った。
松阿弥は剣を下げ、下段に構えた。
太郎は八相の構えから刀を静かに後ろに倒し、無防備に左肩を松阿弥の方に突き出し、刀は左肩と反対方向の後ろの下段に下げた。
松阿弥は右足を一歩引くと下段の剣を後ろに引き、驚いた事に、太郎とまったく同じ構えをした。
二人とも左肩越しに、敵を見つめたまま動かなかった。
じっとしている二人に雨は容赦なく降りそそいだ。
阿修羅坊も金比羅坊も伊助も雨に濡れながら二人を見守っていた。
太郎は革の鉢巻をしていたが、雨は目の中にも入って来た。顔を拭いたかったが、それはできなかった。
松阿弥の方は鉢巻もしていない。坊主頭から雨が顔の上を流れていた。松阿弥は目を閉じているようだった。
松阿弥が動いた。素早かった。
太郎も動いた。
それは、ほんの一瞬の出来事だった。
松阿弥が太郎に斬り掛かって行き、太郎がそれに合わせるように松阿弥に斬り掛かった。しかし、剣と剣がぶつかる音もなく、剣が空を斬る音が続けて二回しただけだった。
そして、何事もなかったかのように、二人は場所をほんの少し変えて、また、同じ構えをしながら相手を見つめた。
見ていた三人にも、一体、今、何が起こったのか、はっきりわからない程の速さだった。
松阿弥は素早く駈け寄ると、太郎の首を横にはねた。太郎の首は間違いなく胴と離れ、雨の中、飛んで行くはずだった。しかし、太郎は松阿弥の剣をぎりぎりの所で避け、逆に、松阿弥の伸びきっていた両手を狙って刀を振り下ろした。
松阿弥は危うい所だったが、見事に太郎の刀を避け、飛び下がった。
それらの動きが、ほんの一瞬の内に行なわれ、二人はまた同じ構えをしたまま動かなかった。
松阿弥にとって、すでに体力の限界に来ていた。今の一撃で終わるはずだった。今まで、あの技を破った者はいなかった。いくら、病に蝕まれているとはいえ、腕が落ちたとは思えない。それを奴は避けた。避けただけでなく、反撃までして来た。
何という奴じゃ‥‥‥
誰にも負けないという自信を持っていた。それが、あんな若造に破られるとは‥‥‥
松阿弥は笑った。それは皮肉の笑いではなかった。心から自然に出て来た笑いだった。
今まで死に場所を捜して来た松阿弥にとって、自分よりも強い相手に掛かって死ねるというのは本望と言ってよかった。剣一筋に生きて来た自分にとって、それは最高の死に方だった。血を吐いたまま、どこかで野垂れ死にだけはしたくはなかった。
瞼の裏に、妙泉尼の顔が浮かんで来た。
妙泉尼が望んでいた太平の世にする事はできなかった。しかし、自分なりに一生懸命、生きて来たつもりだった。もう、思い残す事は何もなかった。
松阿弥は死ぬ覚悟をして、太郎に掛かって行った。
運命は、松阿弥の思うようにはならなかった。
剣が太郎に届く前に、松阿弥は発作に襲われて血を吐いた。地面が真っ赤に染まった。そして、血を吐きながら松阿弥は倒れた。
見ていた者たちは、太郎が目にも留まらない素早さで、松阿弥を斬ったものと思い込んだ。
太郎は刀を捨てると、倒れている松阿弥を助け起こした。
松阿弥は目を開けて太郎の方を見ながら笑った。そして、そのまま気を失った。







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