2008年12月18日

真田一徳斎幸隆の台詞

戦国草津温泉記 湯本善太夫 8.真田一徳斎」より真田一徳斎幸隆の台詞


永禄三年(1560年)の春、真田幸隆が鎌原宮内少輔と共に湯本善太夫を訪ねて草津に来ます。幸隆は武田晴信の被官になって先鋒を務め、信濃の国を平定するために活躍していました。去年、お屋形の晴信が法体になって信玄と号したのにならって、幸隆も頭を丸めて一徳斎と号していました。
善太夫は一徳斎を連れて愛洲移香斎の墓がある天狗山と呼ばれる山に登ります。


「いい眺めじゃのう」と真田一徳斎は言った。

 眼下に湯煙の昇る草津の村が見渡せた。

「ここだけは戦に巻き込みたくはないのう」

 墓前に花を供えて香を焚き、移香斎の冥福を祈った後、鎌原宮内少輔は遠くの山々を眺めながら、「善太夫、実は相談したい事があってのう」と言った。

 善太夫には宮内少輔が何を言いたいのか、薄々感づいていた。特別な日でもないのに、一徳斎を連れて、わざわざ墓参りだけに来るはずはなかった。

「善太夫殿」と今度は一徳斎が言った。「武田信玄殿は信州佐久平を平定して、いよいよ、上州に進攻しようとしておられる。先鋒として、このわしが命じられたんじゃ。この吾妻(あがつま)郡一帯には、わしらと先祖を同じくする同族が多い。できれば戦はしたくはないんじゃ‥‥‥信玄殿は北条氏と手を結び、共に上州を攻め取るつもりでいる。すでに、北条氏は廐橋(うまやばし)城を落とし、利根川以東を支配下に置いた。箕輪の長野信濃守殿は越後の長尾氏を後ろ盾として、上州を平定するつもりでいるが、北条と武田の両軍を相手に戦って勝てるはずはない。善太夫殿、よく考えて下され。すでに管領殿はいない。いつまでも、長野信濃守殿に付いて行く事もあるまい。今まで、信濃守殿の旗下にいて何の得があった? 多くの家臣を亡くしただけで、その見返りはあったかな。湯本家が、これからどう生きて行くべきか、もう一度、考え直した方がいいと思うがのう」

「わしはのう」と宮内少輔が言った。「一徳斎殿に付いて行く事に決めたわ。信玄殿はすでに、佐久平まで来ておられる。もし、信玄殿がわしらの領地に攻めて来たとして、箕輪の信濃守殿は助けてくれるかのう。わしには助けに来るとは思えんのじゃ。わしらは信濃守殿のもとで戦をやり、多くの家臣を失った。奴らは何のために戦をして、何のために死んで行ったんじゃ。我が子まで見捨てて越後に逃げて行った管領殿のためにじゃ。今はその管領殿もいない。管領殿のもとで、わしらは箕輪衆として信濃守殿の旗下に入った。管領殿がいない今、わしらが信濃守殿の旗下にいる理由はないはずじゃ。どうじゃ、善太夫殿、一度、わしと一緒に武田信玄殿に会ってみんか」

「信玄殿に会うのですか」と善太夫は聞いた。思ってもいない事だった。

 宮内少輔はうなづいた。

「わしが案内する」と一徳斎は言った。「どうじゃ」

「少し、考えさせて下さい」と善太夫は答えた。


それからしばらくして、善太夫は決心を固めて、武田家の被官となり、草津温泉を守り通します。


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ラベル:武将
posted by 酔雲 at 17:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説の中の名台詞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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