2008年11月01日

風摩党の山伏、風雷坊の台詞

摩利支天の風〜若き日の北条幻庵 3.箱根権現」より風雷坊の台詞


箱根権現に入れられた菊寿丸(幻庵)は海実僧正から、お前の父親(早雲)は極悪人の人殺しだと言われます。そんな事は信じられず、真相を確かめるために、父親のいる韮山城へと向かいますが、山の中で道に迷って風摩党の山伏、風雷坊に助けられ、その事を質問します。

「お前は父親の事をあまり知らんじゃろう。お前の父親が今まで何をして来たかをまず知るべきじゃ」と風雷坊は言って、菊寿丸に父親、早雲の事を教えます。

「わしも詳しい事は知らんが知っている事だけを話そう。早雲殿と風摩小太郎殿は幼なじみじゃった。若い頃、一緒に国を飛び出したそうじゃ。二人は京都まで来て、そこで別れた。小太郎殿は旅を続け、山伏となった。早雲殿は京都の親戚のもとに身を寄せ、やがて、将軍様に仕える事となったらしい」

「父上が将軍様に?」

 菊寿丸も京の都に将軍様という偉いお人がいるという事は知っていましたが、父親がその将軍様に仕えていたなんて信じられませんでした。

「そうじゃ。仕えておられたんじゃ。その頃、京の都は応仁の乱と呼ばれる戦(いくさ)が続いて、都はほとんど焼けてしまったという。京都で始まった戦は地方に飛火し、あちこちで戦が始まった。そして、今も続いている。応仁の乱を経験した早雲殿は武士という者が嫌になり、頭を丸めて旅に出た。各地を旅した末に関東の地に来て、甥の今川治部大輔(じぶだゆう、氏親)殿を助けて興国寺城主となった。お前はそこで生まれた。興国寺城主となった早雲殿は領民のための国作りを始めた。早雲殿は武士たちが戦を続けているため、庶民が苦しんでいる事を充分に知っていた。早雲殿は自分の領内に住む者たちだけは苦しめたくはないと思い、年貢を減らしたり、直接、領民たちから苦情を聞いて、新しい国作りを始めた。早雲殿の新しいやり方は甥の今川治部大輔殿にも受け継がれ、今川領内の領民たちも喜んだ。その頃、伊豆の国には堀越公方(ほりごえくぼう)様という京の将軍様の弟にあたるお人がおられた。公方様は関東の地をまとめるために下向して来られたが、関東の武士をまとめるどころか、伊豆の国内をまとめる事もできなかった。公方様は領民の事など考えず、戦をするために領民から絞れるだけの年貢をしぼり取った。また、そんな公方様に反発する者も現れ、伊豆の国は乱れに乱れて行った。公方様が亡くなると、その子供たちは家督争いを始めて、さらに国は乱れた。伊豆の百姓の中には早雲殿の噂を聞いて、早雲殿の領内に逃げて来る者も多かった。早雲殿は何とかしなければと思い、小太郎殿に伊豆国内の情報を集めさせ、充分な準備をした上で、伊豆に攻め入り、公方様を倒して伊豆の国を平定したんじゃ。年貢を減らしたために領民たちは勿論喜んだ。しかし、武士たちの中には早雲殿に反発する者も多かった。早雲殿はじっくりと時間をかけて、武士たちをまとめて行き、伊豆に新しい国を作ったんじゃ。伊豆の領主となった早雲殿は自然、関東の戦に巻き込まれて行く事となった。関東に出陣するたびに、早雲殿の目に移るのは苦しんでいる民衆たちじゃ。早雲殿は小太郎殿と協力しながら、相模の国の領民たちも助けようとして相模に進出し、小田原城を乗っ取ったんじゃよ。早雲殿と小太郎殿は関東に新しい国を作ろうとしているんじゃ」

「父上が新しい国を‥‥」菊寿丸は目を輝かせて、風雷坊を見ていました。父親がそんな凄い事をしていたなんて思ってもいませんでした。

本当の事を知った菊寿丸は箱根権現に戻って、子供ながらも父親の意志を継いで活躍します。


戦国北条一族  北条早雲とその一族  後北条氏家臣団人名辞典  




ラベル:北条幻庵
posted by 酔雲 at 23:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説の中の名台詞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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