2008年10月21日

本願寺の老僧の台詞

陰の流れ 第三部・本願寺蓮如 1.蓮如」より本願寺の老僧の台詞


大峯山で昔の友、火乱坊と出会った風眼坊は火乱坊と一緒に加賀の国へと行きますが、暇をもてあまして、白山でも登るかとふらりと山の中に入ります。
山の中で偶然に出会ったのが本願寺門徒の老僧でした。話をしてみると本願寺の事に詳しいので、

「もしかしたら本願寺の中で偉い坊さんなのか」と風眼坊は老僧に聞きます。

「本願寺の坊主に偉いとか、偉くないとか、そんな階級なんぞ、ありゃせん」と老僧は言いました。「皆、同じ、坊主じゃ。皆、阿弥陀如来様のお使いじゃ」

天台宗に属している山伏の風眼坊には理解できず、「本願寺には階級などないのか」と質問します。

「そうじゃ、阿弥陀如来様のもとでは皆、平等なんじゃ。坊主だからと言って門徒たちよりも偉いというわけでもない。皆、同朋(どうぼう)なんじゃ」

「皆、同朋? 公家や武士や百姓も皆、同朋なのか」

「そうじゃ」と老僧は頷いた。「阿弥陀如来様のもとでは皆、同朋じゃ。浄土真宗の開祖親鸞聖人様は阿弥陀如来様の教えを広めなされた。しかし、お弟子もお作りにならず、お寺もお作りにならなかった。ところが、親鸞聖人様が亡くなられた後、聖人様の教えを受けた者たちは、自ら聖人様のお弟子を名乗り、聖人様の教えを広めなされた。教えを広めるには教団を組織しなければならない。教団を作るという事は聖人様の教えに背く事になるんじゃ。しかし、仕方がなかった。親鸞聖人様が亡くなってから、すでに二百年も経ち、聖人様の教えは幾つかの派に分かれ、少しづつ間違った方向に進み始めた。ひどいのになると、坊主が阿弥陀如来様と同じ位に立ち、門徒たちの極楽往生を決める事ができるという、自惚れた宗派まで出て来る始末じゃ。坊主は門徒たちのお志し次第で、勝手に極楽往生を決めている。門徒たちも決定(けつじょう)往生のために、坊主に多額のお志しを差し上げるという異端な宗派が流行ってしまう事となったんじゃ。蓮如上人様は、そんな異端な宗派が流行るのを嘆き、浄土真宗を親鸞聖人様の教えに戻そうと布教を始めたんじゃよ。極楽往生は決して銭次第で決まるわけじゃない。信心によって決まるものじゃとな」

「ほう、成程のう」と風眼坊は唸り、是非とも蓮如上人に会ってみたいものだと思います。


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ラベル:本願寺
posted by 酔雲 at 10:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説の中の名台詞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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