2008年10月16日

黒岩長左衛門の台詞

天明三年浅間大焼 鎌原村大変日記 37.七月二十五日」より黒岩長左衛門の台詞


7月25日(旧暦)は鎌原村の諏訪神社の祭りの日でした。例年、この日は村芝居が行なわれ、今年も村人たちは芝居の稽古に励んでいました。ところが、7月8日(旧暦)、浅間山の大噴火で村は埋まってしまい、大勢の村人が亡くなってしまいました。
新しい村作りを始めた生き残った村人たちは、お世話になった大笹宿の人たちに感謝の気持ちを込めて、ささやかなお祭りを開催します。
その日、上州の三分限者といわれた大笹宿の黒岩長左衛門、干俣村の干川小兵衛、大戸村の加部安左衛門の3人が鎌原にやって来て、村人たちを集め、


「わしら三人で相談したんじゃが、この村の再建のために、惜しまず協力する事にした」と言います。

 村人たちの拍手と歓声が挙がります。

「そこで、みんなに頼みがあるんじゃ。新しい村を作るというのは大変な事じゃ。まして、村人のほとんどは亡くなってしまった。まだ正確な数はわからないが、生存者は百人前後じゃと思う。以前は六百人近くいたのじゃから、五百人近くは亡くなった勘定となる。これだけの者が亡くなってしまえば、以前のような村に戻す事は不可能じゃろう。家族がみんな揃ってるうちもあるまい。鎌原村は古い村で、家柄だの身分なども古くからの掟に従って来た。しかし、今、そんな古い掟に縛られたら何もできなくなってしまう。そこで、ただ今から、ここにいる者たちは皆、血のつながった一族だと思い、今後、身分差などなく、皆、平等だと思うようにお願いしたい。そして、夫をなくした者は、妻を亡くした者と、親を亡くした子供は、子供を亡くした親と一緒になって、新しい家庭を築いてほしい」


身分制度の厳しい江戸時代において『身分差のない新しい村』という提案に反対する村人も何人かいましたが、何とか一つにまとまって、新しい村作りは進んで行きます。
そして、10月24日、7組の婚礼が行なわれて新しい家族ができ、新しい鎌原村の基礎となりました。


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ラベル:浅間山
posted by 酔雲 at 12:42| Comment(0) | TrackBack(2) | 小説の中の名台詞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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