2008年10月11日

馬方の頭、半兵衛の台詞

鎌原観音堂


天明三年浅間大焼 鎌原村大変日記 33.七月十六日」より馬方の頭、半兵衛の台詞


天明3年(1783年)7月8日、浅間山の大噴火で鎌原村は埋まってしまい、助かった人々は大笹宿で避難生活を送ります。
噴火から8日後の16日、村の様子を見に行った問屋の若旦那だった市太たちは、そのありさまを見て呆然とします。


「何だかんだ言ったってしょうがねえ。もう、村はなくなっちまったんだ」市太が言うと、

「村はこの下にちゃんとある」と馬方の頭だった半兵衛は強い口調で言います。

「そんな事アわかってる。だが、もうダメだ。こんなとこに戻っちゃア来られねえ」

「若旦那、わしはな、ここで生まれたわけじゃアねえ。はっきり言やア来たり者(もん)じゃ。だが、わしはこの村に骨を埋めるつもりで、今まで生きて来た。わしに取って、この村は故郷(ふるさと)なんじゃ。ここより他に行くとこなんて、どこにもねえんじゃ」

「そんな事、半兵衛に言われなくたってわかってらア。俺アこの村で生まれて、この村で育ったんだ」

「いいや、わかってねえ。故郷ってえもんが、どんなもんだか、若旦那にゃアわかってねえ。わしは故郷を捨てた。追い出されたんじゃ。無宿者(むしゅくもん)にされて、あちこちさまよった。江戸に出た事もある。だが、何をやってもうまくは行かねえ。結局は旅から旅への流れ者じゃ。六里ケ原で行き倒れになって、馬方に助けられて、この村に来た。今まで、人並みに扱ってもらった事なんかなかったんに、大旦那(市太の祖父)は、わしを人並みに扱ってくれた。大旦那のお陰で、わしはこの村で人並みな暮らしができたんじゃ。嚊(かかあ)も貰って子供もできた。亡くなった嚊や子供のためにも、わしはここに戻って来なくちゃならんのじゃ。大旦那に恩返しするためにも、もう一度、ここに鎌原村を作らなけりゃアならんのじゃ」

 市太は焼け石に埋まった村を眺めながら、ここに村を作るなんて不可能だと思っていました。


次の日から、半兵衛は大笹から鎌原まで通って1人で村作りを始めます。やがて、市太たちが加わり、生き残った村人たちも加わって新しい村作りが始まります。


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タグ:浅間山
posted by 酔雲 at 20:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説の中の名台詞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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