兼重から子の兼定と念流は受け継がれますが、孫の高重はなぜか、鹿島の神道流を学び、以後、念流は途絶えてしまいます。
高重の時に信州の伊那郡樋口村から上州の吾妻郡小宿村に移ります。55年間、小宿村に住んだ後、同じ上州の多胡郡馬庭(まにわ)村に移ります。
高重の曾孫の定次は父から神道流を学びますが、先祖が伝えたという念流に興味を持ちます。念流を学びたいと願いますが、念流を修めた武芸者と出会う事はできませんでした。
ところがある日、念流の正統を継ぐ目医者が上州に現れたという噂を耳にします。定次はすぐに、友松偽庵と名乗る目医者を馬庭に迎えて、念流を習います。
定次は念流の修行に励み、ついに印可を得て、先祖伝来の念流を再興し、馬庭念流の開祖となります。その後、馬庭念流は代々伝えられて、現在に到っています。




ラベル:武芸者
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