覚禅坊胤栄は奈良興福寺の子院である宝蔵院の院主です。
当時の興福寺は武力を持った大寺院で、多数の僧兵を抱えていました。当然、武術の修行も盛んでした。
胤栄は幼い頃より武術を好み、神道流や念流など様々な流派を学んで、鎌槍(十文字槍)を発明して宝蔵院流槍術の流祖となります。
柳生宗厳(石舟斎)と親しく、永禄6年(1563年)、上泉伊勢守が大和の国に来た時、共に迎えて指導を受けています。
数多くの門弟を育てますが、晩年は武術を捨てて僧侶として生き、87歳の大往生を遂げました。
ラベル:武芸者
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