2008年06月20日

愛宕百韻

明智光秀は本能寺の変の前に愛宕山に登り、威徳院で連歌会を催し、その時、有名な発句「ときは今天が下しる五月哉」を詠みます。
脇句は威徳院の住職、西之坊行祐が、「水上まさる庭の夏山」と詠み、第三句は連歌師の里村紹巴が「花落つる池の流れをせきとめて」と詠んでいます。
その他の参加者は愛宕山の僧侶あるいは山伏の上之坊宥源、紹巴の弟子の里村昌叱と蘆箏斎(ろしんさい)心前と猪苗代兼如、光秀の家臣の東(とう)行澄、そして、14歳だった光秀の長男、光慶でした。
百韻連歌とは五七五の上句と七七の下句を参加者が交互に詠んで、百句で完成する連歌で、最初の句を発句、2番めの句を脇句、3番めを第三句と呼び、この三句が特に重要とされます。4番めから99番めまでを平句と呼び、最期の句を挙句と呼びます。
百韻連歌は二つ折りにした4枚の懐紙に記録され、1枚目を初折(しょおり)、2枚めを二折(にのおり)、3枚めを三折(さんのおり)、4枚めを名残折(なごりのおり)と呼びます。初折の表に8句、裏に14句、二折の表と裏に14句、三折の表と裏に14句、名残折の表に14句、裏に8句を書きます。
百句の内、光秀は15句詠んでいます。それを並べてみると次のようになります。

ときは今天が下しる五月哉 (発句)
尾上の朝け夕ぐれの空 (初折の裏、2句め)
月は秋秋はもなかの夜はの月 (初折の裏、9句め)
深く尋ぬる山ほととぎす (二折の表、4句め)
葛の葉のみだるる露や玉ならん (二折の表、11句め)
みだれふしたる菖蒲菅原 (二折の裏、4句め)
おもひに永き夜は明石がた (二折の裏、10句め)
おもひなれたる妻もへだつる (三折の表、4句め)
心ありけり釣のいとなみ (三折の表、8句め)
旅なるをけふはあすはの神もしれ (三折の裏、5句め)
朝霞薄きがうへに重なりて (三折の裏、13句め)
たちさわぎては鴫の羽がき (名残折の表、4句め)
しづまらば更けてこんとの契りにて (名残折の表、9句め)
縄手の行衛ただちとはしれ (名残折の裏、4句め)

何か謎でも隠されていないかと、しばらく睨んでみましたが、残念ながら何もみつかりませんでした。

信長の夢

時は今‥‥石川五右衛門伝

   


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posted by 酔雲 at 10:54| Comment(2) | TrackBack(1) | 戦国時代>文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 愛宕百韻の完全解読に成功しました。「明智憲三郎的世界 天下布文!」をご高覧いただけると幸いです。
Posted by 明智憲三郎 at 2010年03月22日 22:00
明智憲三郎様、コメントありがとうございます。
「天がしたしる」ではなく「天がしたなる」でしたか。「雨がしたしる」だと思っていました。
Posted by 酔雲 at 2010年03月23日 11:55
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愛宕百韻の解読捜査(捜査開始宣言)
Excerpt:  明智光秀が本能寺の変の直前に京都の愛宕山(あたごやま)で催した連歌(れんが)を愛宕百韻(あたごひゃくいん)と言います。  ★ Wikipedia「愛宕百韻」記事   光秀の発句(ほっく)として通説..
Weblog: 本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天下布文!」
Tracked: 2010-03-22 21:59