脇句は威徳院の住職、西之坊行祐が、「水上まさる庭の夏山」と詠み、第三句は連歌師の里村紹巴が「花落つる池の流れをせきとめて」と詠んでいます。
その他の参加者は愛宕山の僧侶あるいは山伏の上之坊宥源、紹巴の弟子の里村昌叱と蘆箏斎(ろしんさい)心前と猪苗代兼如、光秀の家臣の東(とう)行澄、そして、14歳だった光秀の長男、光慶でした。
百韻連歌とは五七五の上句と七七の下句を参加者が交互に詠んで、百句で完成する連歌で、最初の句を発句、2番めの句を脇句、3番めを第三句と呼び、この三句が特に重要とされます。4番めから99番めまでを平句と呼び、最期の句を挙句と呼びます。
百韻連歌は二つ折りにした4枚の懐紙に記録され、1枚目を初折(しょおり)、2枚めを二折(にのおり)、3枚めを三折(さんのおり)、4枚めを名残折(なごりのおり)と呼びます。初折の表に8句、裏に14句、二折の表と裏に14句、三折の表と裏に14句、名残折の表に14句、裏に8句を書きます。
百句の内、光秀は15句詠んでいます。それを並べてみると次のようになります。
ときは今天が下しる五月哉 (発句)
尾上の朝け夕ぐれの空 (初折の裏、2句め)
月は秋秋はもなかの夜はの月 (初折の裏、9句め)
深く尋ぬる山ほととぎす (二折の表、4句め)
葛の葉のみだるる露や玉ならん (二折の表、11句め)
みだれふしたる菖蒲菅原 (二折の裏、4句め)
おもひに永き夜は明石がた (二折の裏、10句め)
おもひなれたる妻もへだつる (三折の表、4句め)
心ありけり釣のいとなみ (三折の表、8句め)
旅なるをけふはあすはの神もしれ (三折の裏、5句め)
朝霞薄きがうへに重なりて (三折の裏、13句め)
たちさわぎては鴫の羽がき (名残折の表、4句め)
しづまらば更けてこんとの契りにて (名残折の表、9句め)
縄手の行衛ただちとはしれ (名残折の裏、4句め)
何か謎でも隠されていないかと、しばらく睨んでみましたが、残念ながら何もみつかりませんでした。








ラベル:連歌師
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「天がしたしる」ではなく「天がしたなる」でしたか。「雨がしたしる」だと思っていました。