2013年06月18日

島添大里按司(しましぃうふざとあじ)

島添大里按司の本拠地、島添大里グスクは馬天港と与那原港を見下ろす山の上にあります。「島添」とは島々を支配するという意味があり、島添大里按司はかなり古くから勢力を持っていた按司のようです。
初代の浦添按司、舜天の母親は島添大里按司の娘だったと伝えられ、12世紀頃にはすでにかなりの勢力を持っていたようです。
13世紀になると舜天王統を滅ぼして浦添按司になった英祖が島尻大里にグスクを築いて南部に進出して来ます。また、玉城按司も良港を持つ島添大里グスクを奪い取ろうと企んで、大グスクと糸数グスクを築いて進出して来ます。
14世紀には英祖王統を滅ぼした察度が島尻大里按司と同盟して、島添大里按司を攻めます。島添大里グスク攻めの先鋒となったのは島尻大里按司の弟、八重瀬按司です。八重瀬按司は新グスクを築いて隙を窺い、1380年頃、島添大里グスクを奪い取って、島添大里按司を名乗ります。
島添大里按司となった八重瀬按司は明国との交易も始めて「下の世の主」と呼ばれるまでに栄えます。勢いに乗った八重瀬按司は同族の島尻大里按司を滅ぼし、山南王となります。
八重瀬按司が島尻大里グスクに移った後、島添大里按司になったのは三男の屋冨祖ではないかと思われます。八重瀬按司には三人の息子がいて、長男のタブチは本拠地の八重瀬グスクを守り、次男の汪応祖は豊見グスクを守っていました。三男の屋冨祖は次男の汪応祖が豊見グスクを築いて、大グスクから移って行った後、大グスク按司となり、父親が島尻大里グスクに移った後に島添大里按司になったと思われます。
1400年頃、山南王になった八重瀬按司が亡くなり、跡を継いだのは次男の汪応祖でした。汪応祖は明国に留学した事もある秀才で、父親は汪応祖に後を託したのでしたが、それに不満を持った長男のタブチが反乱を起こします。兄弟で争いを始めたその隙に乗じて島添大里グスクを奪い取ったのは佐敷按司の尚巴志でした。
尚巴志は本拠地を佐敷グスクから島添大里グスクに移して、島添大里按司を名乗ります。
島添大里按司となった尚巴志はグスクを拡張して守りを固め、勢力を広げながら周りの状況を見極め、1406年、中山王の武寧を攻め滅ぼします。本拠地を首里に移しますが、自らは中山王とはならず、父親の思紹を中山王とします。
尚巴志が首里に移った後も有力な武将か、尚巴志の息子が島添大里グスクを守って南部に睨みをきかせていました。





尚巴志伝


          

          
タグ:琉球
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2013年06月03日

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