2012年05月09日

佐銘川大主(さめがわうふぬし)

佐銘川(鮫川)大主は尚巴志の祖父です。
1330年頃、伊平屋(いへや)島で生まれます。父親は屋蔵(やぐら)大主、母親は我喜屋(がきや)のノロです。
父親の屋蔵大主は隣の伊是名(いぜな)島も支配下に置き、長男の佐銘川を伊是名島に配置します。
ある年、飢饉となり、佐銘川は蔵に蓄えてあった食糧を島民たちに分け与えていましたが、島民たちが暴動を起こして島から追い出されてしまいます。
佐銘川は船で今帰仁(なきじん)に逃げ、夢のお告げによって馬天(ばてん)浜(佐敷)に向かいます。馬天浜に落ち着いた佐銘川は漁をして生活していました。ある日、大城按司(うふぐしくあじ)と出会い、見込まれて娘婿となります。そして、苗代大親(思紹)が生まれます。
その後、どうなったのかはわかりません。思紹が中山王になった時、もし生きていたとすれば76歳前後ですので亡くなっていたかもしれません。
以上が尚巴志の祖父、佐銘川大主の略歴ですが、私は「佐銘川」というのは「鮫皮」の事ではないかと思います。
鮫皮は日本刀の柄に巻かれ、日本刀作りには欠かせない材料です。鮫皮と呼んでいますが、実は鮫の皮ではなく、エイの皮です。当時、日本は南北朝の動乱で日本刀は大量に生産されました。その日本刀に必要な鮫皮は日本では採れません。日本の商人(倭寇)は鮫皮を求めて琉球にやって来たはずです。
琉球に行く前に伊平屋島で水の補給などをした商人たちから「鮫皮」を集めれば、鉄や陶器など欲しい物と交換できる事を聞いた佐銘川は伊是名の島民たちを使って「鮫皮」集めを始めます。
島民たちを使って鮫皮を集めても、日本の商人が来なければ、欲しい物は手に入りません。日本の商人たちも毎年、来ていたわけではないでしょう。佐銘川の言う通りに「鮫皮」を集めても、欲しい物が手に入らないので、島民たちが怒って佐銘川を追い出したしまったのではないでしょうか。
それに、鮫皮を保存するには鞣さなければなりません。鞣し方も商人たちから教わったのでしょう。鮫皮をなめすためにエイを解体すると物凄い臭いが充満します。島中が臭くなってしまい、それも佐銘川が追い出された原因でしょう。
伊是名島を追い出された佐銘川は各地の漁師たちから話を聞き、馬天浜が最もエイ漁にふさわしい場所だと悟って、馬天浜で「鮫皮」集めを再開します。大城按司の援助もあって、佐銘川は「鮫皮」で財をなし、「鮫皮大主」と呼ばれるようになったのではないでしょうか。
「鮫皮」で鉄や陶器ばかりでなく、武器も大量に手に入れて、孫の尚巴志の中央進出を助けたのだと思います。





          

          
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2012年05月07日

思紹(ししょう)

尚巴志の父親、苗代大親(なわしろうふうや)は中山王となって思紹と名乗ります。
1354年に沖縄本島南部の佐敷(南城市)に生まれます。父親は佐銘川(鮫川)大主(うふぬし)、母親は大城按司(うふぐしくあじ)の娘です。
美人として評判だった美里子(みさとのし)の娘と結ばれ、尚巴志が生まれます。
苗代という地に住んでいたので苗代大親(なわしろうふうや)と呼ばれ、やがて、佐敷按司になります。按司というのは領主の事で、思紹の祖父が大城按司だったので、その力を借りて按司になったものと思われます。
いつの事かわかりませんが、母親の実家である大城按司は島添大里按司と争って滅ぼされてしまいます。その合戦に思紹も参加して活躍したはずですが、合戦の詳しい様子はわかりません。
1392年、39歳の時、何の理由があってか、21歳の尚巴志に家督を譲って隠居してしまいます。大城按司が滅ぼされ、戦国の世を生き抜くには倅の尚巴志の方がふさわしいと考えたのでしょうか。
尚巴志の活躍を助けながらも表に出なかった思紹ですが、1406年、尚巴志が浦添按司を倒した後、表に担ぎ出されて中山王となります。53歳でした。
15年間、王位にあった思紹は1921年に68歳で亡くなりました。8年後、尚巴志は沖縄本島を統一します。


          

          
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2012年05月04日

尚巴志(しょうはし)

尚巴志は沖縄の戦国時代を制して、沖縄を統一した英雄です。
1372年に沖縄本島南部の佐敷(南城市)で生まれています。その頃、日本は南北朝時代で、室町幕府の将軍は足利義満でした。
尚巴志の父親は苗代大親(なわしろうふうや)、母親は美里子(みさとのし)の娘です。父親の苗代大親はやがて佐敷按司(あじ)となり、尚巴志は21歳の時に家督を譲られて佐敷按司になります。
1402年、31歳の時に南部で勢力を持っていた島添大里按司を倒し、南部の東半分を勢力下に置きます。
1406年、35歳の時に中央で勢力を持つ浦添按司(中山王)を倒して本拠地を首里に移し、父親を中山王として明との冊封貿易を始めます。
1416年、45歳の時に北部に勢力を持つ今帰仁按司(北山王)を倒し、1421年、50歳の時に父親が亡くなって中山王となり、1429年、58歳の時に大里按司(南山王)を倒して、沖縄本島を統一します。
1439年4月、68歳で波乱の生涯を閉じます。
以上が尚巴志の略歴ですが、詳しい事はよくわかりません。これだけの偉業を成し遂げたのに、有力な家臣たちの名前は記録には残っていません。わかっているのは軍師役の明人の懐機(かいき)と北山攻撃に加わった護佐丸くらいです。次々に強敵を倒して行ったのですから有能な家臣たちが何人もいたはずですが、まったくわかりません。
尚巴志の死の14年後の1453年、尚巴志の孫、尚志魯と息子の布里が家督争いを始めて、首里城は全焼してしまいます。その時に当時の記録はすべて燃えてしまったのかもしれません。また、1469年の金丸(尚円)のクーデターの時に第一尚氏の事績は抹殺されてしまったのかもしれません。


          

          
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2011年01月07日

謹賀新年

去年は色々な事がありましたが、あっという間に過ぎてしまいました。
今年は飛躍の年にしたいものです。





        
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2010年01月01日

新年おめでとうございます

今年が良い年でありますように。





What a Wonderful World(この素晴らしき世界)はサッチモの愛称で親しまれた偉大なるジャズ・ミュージシャン、ルイ・アームストロングの1968年のヒット曲です。


この素晴らしき世界  ワンダフル・ワールド: ルイ・アームストロング ストーリー  マスターズ・オブ・アメリカン・ミュージック ルイ・アームストロング  この素晴らしき世界  グッドモーニング、ベトナム  上流社会

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2009年09月01日

「嘘だ、嘘だ、嘘だ!」と誰かか騒いで、ワァッと泣き始めた

天明三年浅間大焼 鎌原村大変日記 28.七月八日」より



 何となく、浅間山がぼやけているように見えた。寝不足で目がかすんで来たかと目をこすった時だった。物凄い強風が浅間山の方から吹いて来た。とても立ってはいられない。市太は身を伏せ、這いながら、おろくたちの方に向かった。

 女衆がキャーキャー騒ぎ出した。ドサッと何かが倒れ、バリバリッと木の枝が折れる音がした。誰かが怒鳴っているが風の唸りで聞こえない。信じられないが、その強風は熱かった。熱風が浅間山から吹いていた。このままだと着物が燃えてしまうのではと思えるほど熱かったが、熱風はすぐに治まった。

「一体(いってえ)、ありゃア何だったんだ」

 市太は顔を上げるとおろくと三治を見た。三治が市太の顔を見て、急に笑い出した。強風で元結(もっとい)が切れてザンバラ髪になっていた。おろくも笑って、自分の頭巾を脱いで市太に渡した。

「いいよ。おめえが被ってろ」

「だって、その頭じゃ恥ずかしいでしょ。石が降って来たら返してもらうわ」

「そうか」

 市太は頭巾を被って、ザンバラ髪を隠した。回りを見ると石燈籠(いしどうろう)や石塔(せきとう)が倒れ、折れた太い枝があちこちに落ちていた。幸い、怪我人はいないようだ。

 浅間山を眺めると今度ははっきりと見えた。黒煙を吹き上げ、馬鹿にしたように黒い舌を出している。しばらく、ざわついていたが、強風も治まり、何事もなさそうなので、女衆は安心して座り込んで、また拝み始めた。

 市太はもう行こうとおろくを促したが三治が言う事を聞かなかった。じっと拝んだまま、動こうとはしない。

「まあ、いいか。うちに帰ったって潰れちまったんじゃアしょうがねえ。ちょっと話があるんだ」

 市太はおろくを誰もいないお堂の裏の方に誘った。

「叔父さん、大丈夫かしら」

「みんながいるうちは、ああやって拝んでるだんべ。心配(しんぺえ)ねえ」

 おろくはうなづいて市太の後を追った。観音堂の裏は深い森になっている。森の中に少し入って切り株に腰を下ろすと市太は手を差し出した。

 おろくは笑い、「なアに、話って」と市太の手を握る。

 市太はおろくの手を引っ張り、抱き寄せて、自分の膝の上に乗せた。

「ダメよ。誰かに見られたらどうするの」

「見られたっていいじゃねえか」と市太はおろくの口を吸う。

 しばらく抱き合っていたが、ガサガサという物音で、おろくは慌てて市太から離れた。

「鳥が飛んでっただけだ」

「だって、みんなが真剣に拝んでるのに」

「俺たちだって真剣さ。話ってえのは、うちの事だ。武蔵屋の前(めえ)に貸本屋を作るって言ったんべ。でもよう、どうせ建てんなら、武蔵屋の前だんべが、おめえんちの土地だんべが同じこった。あそこに貸本屋を建てりゃアいい。みんなが一緒に暮らせるようなうちをな」

「そうなれば嬉しいけど、そんなにうまく行くかしら」

「祭りが終わる頃にゃア、きっと、うまく行ってるよ」

「お祭りできるのかしら。うちをなくした人も多いし、怪我した人もかなりいるみたいだし」

「だからこそ、景気づけにやらなきゃアならねえんだよ」

「今晩はお稽古ができるといいのにね」

「もう大丈夫だんべ。さっき、熱風が吹いたんはお山の腹ん中が空っぽになったのかもしれねえ」

「そうか。そうよ、きっと。もう、あんな恐ろしい目に会わなくてもすむのね」

「もういらねえ。ぐっすり眠りてえよ」

 しかし、そううまい具合には行かなかった。ドガーンと耳をつんざく音が鳴り響き、また、お山が大爆発を起こした。市太はおろくを抱き寄せ、森から飛び出すと身を伏せた。大きな揺れも始まった。お堂がミシミシ唸っている。

「ここも危ねえ」

 二人はお堂の側から離れて、表の方へと向かった。女衆は恐怖に脅(おび)え、顔を引きつらせて身を伏せている。やがて、砂や石が降って来た。市太は頭巾を脱ぐとおろくに被せた。キャーキャー騒ぎながら、女たちは若衆小屋を目がけて走り出した。市太とおろくも後を追う。若衆小屋は人であふれていた。

 石はすぐにやんだ。その代わりに今まで聞いた事もない音が響き渡った。

「ヒッシオヒッシオヒッシオ」と何かが押し寄せて来る音だった。

 何事だと人々は耳を澄ましながら小屋から出て、観音堂の側まで行って浅間山を眺めた。何と浅間山が見えなかった。そして、黒い大きな固まりが煙を上げながら、こちらに近づいて来る。

「お山が動いている」と誰かが叫んだ。

「大変(てえへん)だ、大変だ、逃げろ、逃げろ」と皆、騒ぎ出した。

 騒ぎ出したが皆、どうしていいかわからず、オロオロしている。市太はおろくの手を握ったまま、じっと正体不明な物を見つめていた。

「一体、ありゃ何なんでえ。お山が動くわけがねえ。煙は出てるが火のようでもねえ」

「あっ、叔父さんがいない」おろくが叫んだ。

「なに」と市太は回りを見回す。

 青ざめた女たちの顔が目に入るが三治の姿は見当たらない。

「叔父さん」と叫びながら、おろくは若衆小屋の方に行った。市太も後を追った。

 小屋の中には誰もいなかった。小屋の回りや観音堂の裏も見たがいない。

「どこ行っちゃったんだろ」

「大丈夫さ。三治が一人でいるのを誰かが見つけて、うちまで届けてくれたんだんべ」

「それならいいんだけど‥‥‥」

「うちに帰ってみりゃわかるさ」

 市太とおろくが帰ろうとして石段の方へ向かうと黒煙が観音堂のすぐ側まで来ていた。

 ゴーゴーという唸り声とパチパチと何かが弾けるような異様な音が響き渡り、ドスーンと何かが当たったような音が響き渡った。大地が揺れ、観音堂は煙に包まれて、何も見えなくなった。揺れはしばらく続いた。

「一体(いってえ)、どうなってんでえ。お山がここにぶち当たったのか、畜生め!」

「若旦那か」と煙の中から声がした。

「半兵衛か」と市太は聞く。

「そうじゃ。大丈夫か」

「ああ、大丈夫みてえだが」

 煙だと思ったのは土埃だった。やがて、消え、半兵衛の姿が見えた。

「若旦那、その面は何でえ。まるで、河童(かっぱ)が娘っこを手籠(てご)めにしてるようだぜ」

「なに言ってやんでえ。それより、半兵衛はどうして、こんなとこにいるんだ」

「人手が足らなくてな、誰かいねえかと捜しに来たんじゃ」

「そうか。馬の方は足りたのか」

「ああ、大丈夫だ」

「大変だ、大変だ、みんな、来てくれ」

 誰かが石段の所で怒鳴っていた。若衆頭の杢兵衛だった。

 おろくを立たせ、市太が半兵衛と一緒に杢兵衛の所に行くと杢兵衛は何も言わず、石段の下を指さした。

 見るとそこには信じられないものがあった。石段が十五段しかなかった。そこから先は土砂で埋まっている。辺り一面、土砂が広がっていて鎌原村は消えていた。土砂は乾いていて、所々に大きな石や黒い焼け石、樹木の枝や太い幹(みき)が混ざり、ゴロゴロと転がっているのもあった。

「まさか」と市太もおろくも半兵衛も自分の目を疑った。

 こんな事が起こるはずはない。絶対に信じられない。ここまで土砂が来ているという事は、村はすべて埋まってしまったという事だった。観音堂にいた者たちも集まって来て、石段を覗き込んだ。

「嘘だ、嘘だ、嘘だ!」と誰かか騒いで、ワァッと泣き始めた。

 百姓代の仲右衛門が人込みを押し分けて顔を出し、「何だ、こりゃア」と叫ぶと石段を下りて行った。十五段の所で立ち止まって遠くを見回し、「おーい、みんな、大丈夫か」と叫ぶと、よろけるようにしゃがみ込んだ。

 それを見ていた杢兵衛は腰が抜けたようにヘナヘナと崩れた。おろくも急に気が遠くなったように市太の腕の中に倒れ込んだ。



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2009年08月16日

地獄絵でも見ているような浅間山の噴火

天明三年浅間大焼 鎌原村大変日記 21.六月二十八日」より


 ようやく、ウトウトしだした頃だった。雷が落ちたような物凄い音がして、寝ていた体が飛び上がる程の大揺れが起きた。

 市太は慌てて隣の部屋に声を掛けた。

「おい、大丈夫か」

「兄ちゃん、怖いよう」

「早く、外に出るんだ」

 市太は妹のおさやとおくらを両脇に抱えて外へと向かった。小揺れが始まった時、明かりはすべて消したので、家の中は真っ暗だ。囲炉裏の辺りから兄、庄蔵が叫んだ。

「早く、外に出ろ。市太、爺さんを頼むぞ」

 市太は二人の妹を中庭に出すと、すぐに離れにいる市左衛門の所に行った。声を掛けると、すでに市左衛門は縁側から外に出ていた。祖父を連れて中庭に戻ると皆、集まっている。廐(うまや)の馬が脅(おび)えて騒いでいた。叔父の弥左衛門が甥の五郎八を連れて廐に向かった。

「おめえたちは村を回って、火の用心を確かめて来い」

 父親に言われて、市太と庄蔵は表通りへ飛び出した。

 真っ暗の中、人々があちこちでざわめいている。馬のいななきと野良犬の鳴き声がやかましい。市太はおろくの事が心配になって来た。寝たきりの母親と盲目(もうもく)の兄、アホの三治を抱えて、無事に家から出られただろうか。俺はこっちに行くと言って、さっさとおろくの家に向かった。

 浅間山はゴーゴー唸り、大地の揺れは続いている。まるで、酔っ払っているかのように足元がおぼつかない。おまけに空から砂が降って来た。

「火の用心、火の用心」と叫びながら、市太はおろくの家に走った。惣八に声を掛けられ、惣八にも見回りを頼んだ。

「わかった」と言うと惣八は市太と反対の方に走って行った。

 おまんの家に行くつもりかと思ったが、他人の事まで構ってはいられない。おろくの家の前には誰もいなかった。

「おろく、大丈夫か」と叫びながら、市太は家の中に入って行く。暗くて、何も見えない。馬が騒いでいるだけで、声を掛けても返事はなかった。

「おい、若旦那か」と声を掛けられ、入り口の方を見ると男が立っている。

「誰だ」

「俺だ。半兵衛だ。みんな、裏庭の方にいる」

「おっ母も大丈夫なのか」

「ああ。俺がおぶって連れ出した」

「そうか。よかった」

 裏庭に行くと寝かされた母親の回りに皆が座り込んでいた。

「みんな、大丈夫か」と市太が聞くと、「ええ、大丈夫」とおろくは言った。

 脅えているのか、その声はやけに沈んでいる。誰もいなかったら、抱き締めてやりたいがそうもいかない。

「そうか、よかった」市太は一人うなづくと、「半兵衛、みんなを頼む。俺は一回りしてくらア」と通りの方に出た。

「火の用心、火の用心、みんな、大丈夫かア」とあちこちで叫んでいる。

 若衆組の者たちが見回りをしているようだ。市太も走り出した。浅間山の方を見上げると時折、雷のように光を放っている。その光によって、真っ黒な煙がモクモクと立ち昇っているのが見えた。まるで、地獄絵でも見ているような、何とも恐ろしい光景だった。このまま、この世が終わってしまうのではと思わせる不気味な眺めだった。


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2009年08月02日

織田信長の狂気

時は今‥‥石川五右衛門伝 5.地獄絵」より信長の狂気


 八月十七日、見世物(みせもの)好きな信長がまた、見世物を催した。一月前の華麗な見世物とは打って変わって、今回は残酷極まりない下劣(げれつ)な見世物だった。

 信長に逆らった高野山(こうやさん)に対して見せしめのため、旅の聖(ひじり)たちを片っ端から捕まえて、安土に連れて来た。その聖たちを琵琶湖畔で処刑するというのだった。信長自身は出て来なかったが、信長の小姓(こしょう)たちによって、百人余りの聖の首が次々に飛ばされ、琵琶湖の水は真っ赤に染まった。

 まだ幼い顔をした小姓たちは、悲鳴を上げながら助けを求めている聖たちを捕まえては無表情に斬り殺して行った。その光景はなんとも恐ろしいものだった。彼らは信長に命じられれば、どんな事でもためらいなくやってしまうだろう。

 大勢の見物人は、ひどい、むごすぎると言いながらも、興味深そうな顔をして残酷な見世物を楽しんでいた。若い娘たちの中には、小姓の名を叫び、キャーキャー騒いでいる者もいる。

 夢遊は馬鹿な娘たちを見ながら、顔を歪めると天主を見上げた。信長があそこから、この光景を眺め、不気味に笑っている姿を想像して、背筋がゾッと冷たくなるのを感じた。

 信長は狂っているのかもしれないと夢遊は思い始めていた。

 信長の残虐性が現れ出したのは十年前の比叡山(ひえいざん)の焼き打ちの時だった。あの時は比叡山が朝倉氏と浅井(あざい)氏と結んで、信長に敵対したため、戦なのだから仕方がないと思った。また、夢遊自身もやりたい放題の比叡山には反感を持っていて、いい気味だと思っていた。

 朝倉氏を滅ぼした後の落ち武者狩りも凄(すさ)まじかった。捕まえた落ち武者を片っ端から斬り殺して死体の山を次々に築いた。その時も、夢遊は戦だから仕方がないと思った。

 伊勢長島の本願寺一揆の二万人にも及ぶ大量殺戮(さつりく)、越前の本願寺一揆の三万人余りの殺戮も、ひどすぎるとは思ったが、信長を苦しめ続けたのだから、仕方がないのかもしれないと思った。

 しかし、一昨年(おととし)の荒木村重一族の殺戮は夢遊も残酷すぎると思った。村重の妻を含めた女子供たち三十六人を京都引き廻しのうえ六条河原で斬り殺し、有力家臣たちの妻や娘など女ばかり百二十人を尼崎で磔(はりつけ)にして撃ち殺した。さらに、その他の家臣や女子供たち五百人余りを四軒の家に押し込めて焼き殺してしまった。信長は狂ってしまったのかと思える程、残酷な仕打ちだった。

 その後、夢遊はお茶会に呼ばれて信長と会った。直接、話をしてみると、別に狂っているような素振りはなく、まともだった。怒りが爆発すると、本人も気が付かない程に残酷になってしまうのだろうと思った。

 去年は残酷な面を見せる事なく、始終、機嫌がいいようだった。暇さえあれば、鷹狩りや相撲興行をやっていた。ところが、今年になって、また、残酷な面が顔を出して来た。

 四月の中頃、信長が竹生(ちくぶ)島に参詣した日、留守中に遊んでいたと言って、泣き叫びながら謝る侍女(じじょ)たちを次々に斬り殺した。そして、今回の高野聖の処刑だった。ハ見寺が信長自身を祀った寺だと知った時から、夢遊は何かいやな予感がしていた。信長の心が少しづつ、狂気に蝕まれつつあるような気がしていた。


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2009年07月26日

絹市に切断された女の足が‥‥‥

国定忠次外伝・嗚呼美女六斬 第1部―7.境宿の絹市」より絹市に切断された女の足が‥‥‥


「ねえ、あれ、何かしら」とおちまが通りの向こうを指さした。

 この店の娘、おちまは小柄で何もかも小さかったが、うまくまとまっていて可愛らしい。研師の音吉といい仲で、斜(はす)向かいにある太物屋の娘、おゆみの恋敵(こいがたき)だった。

 おちまが指さす方を見ると真向かいにある煙草屋と右隣にある絵師、金井研香(けんこう)の家の間に筵(むしろ)にくるまれた何かが置いてある。あちこちにゴミが散らかっているので、よく見なければ気づかないが、その筵は何かがくるんであるように見えた。

「誰かの忘れ物ね」とお政が言った。

「きっと、絹糸よ。あんなとこ置いといたら盗まれちゃうわ」と言うなり、お美奈は筵の所に飛んで行った。

「おい、ちょっと待て」と久次郎は止めたが、おちまもお栄も飛び出して行った。

「どうしたの」とお政が久次郎の顔を見た。

「中身は長脇差(ながどす)に違えねえ」と久次郎はお政に言った。

「長脇差?」

「誰が何の目的があって、あんなとこに隠したか知らねえが、ありゃア長脇差に違えねえ」

 久次郎も店から出て、通りを眺めた。さっきまでの喧噪が嘘のように、いつもの宿場に戻っていた。高札場の回りで、子供たちが追いかけっこをして遊んでいる。

「キャー!」とお美奈たちの悲鳴が響いた。

 久次郎が三人を見ると娘たちは顔を背けるようにして筵を指さしていた。悲鳴を聞いて近所の者たちが何事かと顔を出した。

 久次郎は娘たちに近づくと筵を見た。筵の間から、白い足の裏が覗いていた。

 そんな馬鹿な、と筵を開いてみると根元から切られた足が転がり出て来た。切り口には血の混ざった塩が固まり、半ば腐っているのか異臭を放っている。

「キャー!」と久次郎の後ろから覗いていたお政が悲鳴を上げた。

 おちまが口を押さえながら家の方に帰って行った。

 久次郎は鼻をつまむと切られた足をよく観察した。変色し変形もしているが女の左足に間違いない。何かで打たれたのか、ミミズ脹れのような傷が何本もあり、足首を縛られていたのか縄の跡が残っていた。

 悲鳴を聞いて、やじ馬たちが集まって来た。女たちの悲鳴が何度も響き、下町で休んでいた伊三郎の子分たちもやって来た。

「どいた、どいた」と人をかき分け、転がっている左足を眺め、「何でえ、こりゃア」と言ったきり、しばらく、声が出ないようだったが、久次郎に気づくと、「おめえは百々一家の野郎だな。何で、こんなとこにいやがるんでえ」と怒鳴った。


侠客国定忠次一代記  江戸やくざ列伝  国定忠治を男にした女侠  <新国劇 極付 国定忠治  八州廻りと博徒
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2009年07月19日

捕虜になるぐらいなら死んだ方が‥‥‥

沖縄二高女看護隊・チーコの青春 第3部―14.捕虜」より捕虜になるぐらいなら死んだ方が‥‥‥


 千恵子は岩陰から外を見た。敵の姿は見えなかった。西の方の岩陰からパーンという爆発音がして、小さな煙が立ち登った。誰かが手榴弾で自決したようだった。ダダダダダと自動小銃の音も聞こえて来た。手榴弾の炸裂する音も次々に聞こえて来た。敵に捕まるよりも潔く自決しているのだった。

 千恵子たちも自決したかった。でも手榴弾はない。どうしようとおろおろしていると西の方に自動小銃を手にしたアメリカ兵の姿が見えた。

 鬼のように大きかった。赤い顔をしていた。黒い顔をした怪物のようなのもいた。恐ろしい鬼が十数人も近づいて来た。

「デテコイ、デテコイ」とアメリカ兵は言いながら、返事がないと容赦なく自動小銃を撃っていた。悲鳴が聞こえ、「撃たないでくれ」と叫びながら避難民たちが手を上げて出て行った。

「向こうからも来た」とトミが東の方を示した。

 四人のアメリカ兵が見えた。五、六人の避難民が両手を上げて投降していた。前からも後ろからもアメリカ兵が迫って来ていた。もう逃げ場はなかった。

「顔を汚すのよ」と悦子が言った。

 岩陰にあった濡れた泥を千恵子たちは競って顔に塗り付けた。

「デテコイ、デテコイ」と言いながらアメリカ兵は近づいて来た。自動小銃の音が響いて、悲鳴が聞こえ、手榴弾の音もあちこちから聞こえて来た。

 隣にいた兵隊たちも、「大日本帝国、万歳!」と叫びながら自決した。硝煙(しょうえん)の臭いが漂って来た。

 突然、二人の兵隊が千恵子たちの所に逃げ込んで来た。一人の兵隊が手榴弾を持っていた。神の助けだと千恵子たちは手榴弾を見つめた。

「捕虜(ほりょ)になるぐらいなら死んだ方がいい。一緒に死ぬか」と兵隊が言った。

 千恵子たちはうなづいた。

 たった一つの手榴弾で八人も死ねるのだろうかと心配だったが、後は、運を天に任せるしかなかった。千恵子たちは丸くなって一つの手榴弾を囲んだ。

 兵隊が安全ピンを抜いて、皆の顔を見回した。

 いよいよ、死ぬ時が来た。敵に捕まる事なく死ねるのが嬉しかった。ただ、ここで死んだという事を家族に知らせる事ができないのが残念だった。

「行くぞ」と言って、兵隊は手榴弾の飛び出た所を岩に叩きつけた。

 一瞬の内に吹き飛ぶはずだった。でも、手榴弾はカチッと音がしただけだった。兵隊はもう一度、岩にぶつけた。手榴弾は不発だった。

「くそっ」と言って兵隊は手榴弾を投げ捨てた。やはり爆発はしなかった。

 アメリカ兵はすぐ側まで迫って来ていた。

「もう終わりだ」と二人の兵隊は軍服を脱ぐと両手を上げて出て行った。

「何よ、もう」とトヨ子が言って、気が抜けたように座り込んだ。

 千恵子は首筋の汗を拭いた。緊張したせいか汗びっしょりだった。もう何も考えられなかった。

「どうするの」と悦子が聞いた。

「もういい」とトヨ子は言った。「どうせ死ぬんだから、捕虜になって、みんなと一緒に死のう」

 千恵子たちはうなづいて、両手を上げて出て行った。悦子が乾パンの袋を広げて白旗代わりにして先頭に立った。

 海岸に、自動小銃を持ったアメリカ兵に囲まれて十数人の避難民がいた。

 千恵子たちも自動小銃を持った鬼のようなアメリカ兵に囲まれた。敵に捕まってしまった自分たちが情けなかった。途中で亡くなった留美が羨ましかった。留美はこんな悔しい思いをしなくてもよかった。

 アメリカ兵は捕まえた避難民たちの持ち物を調べていた。

 隙(すき)があったら、海に飛び込んででも死のうと思いながら千恵子は呆然と立っていた。


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posted by 酔雲 at 09:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説の中の衝撃的な場面 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする