2009年06月29日

艦砲弾が炸裂する中を死に物狂いの彷徨

沖縄二高女看護隊・チーコの青春 第3部―1.真栄平」より艦砲弾が炸裂する中を死に物狂いの彷徨


 海の方を見るとずらりと並んでいる敵艦の大砲から次々と黒い煙が上がっていた。腕時計を見たら、もう六時になっていた。

 それからはもう死に物狂いの彷徨(ほうこう)だった。千恵子たちの回りに艦砲弾が次々に落ちて来た。ヒュッと音がしたかと思うと、すぐにバーンと近くで炸裂した。体を伏せる間もなく、泥をかぶり、破片がシュルシュルと音を立てて、すぐ側を飛んで行った。目の前を歩いていた負傷兵が轟音と共に吹き飛び、千恵子の側の水溜まりに落ちた大きな破片がジュッと音を立てた。こんなのが当たれば腕も足も首も、もげてしまうに違いない。

 もう、いやだ。こんな恐ろしい思いをするのなら、病院壕にいた方がよかったと何度も後悔した。泥の中に伏せては歩きの繰り返しで、ちっとも前に進まなかった。やがて、暗くなって、照明弾が次々に打ち上げられた。照明弾が上がっている時は明るくて道もわかるが、照明弾が消えてしまうと、月も星もない真っ暗闇になってしまい、方向さえもわからなくなってしまう。艦砲射撃はやむことなく、容赦なく千恵子たちの回りに落ちていた。どこか安全な壕に潜りたいと思っても、初めての土地なので、どこに何があるのか、まったくわからず、ただ、神様に無事を祈りながら身を伏せているしかなかった。

 続けざまに艦砲弾が千恵子たちの回りにいくつも落ちて来た。伏せていて泥をかぶり、慌てて体を探って無事を確認して、「ねえ、大丈夫だった」と千恵子は小百合と悦子に声を掛けた。

 返事がなかった。二人共、やられちゃったのと恐ろしくなり、千恵子は大声で、小百合と悦子の名を呼んだ。あちこちに落ちている艦砲弾の炸裂する音しか聞こえず、二人の返事はどこからも返って来なかった。真っ暗で何も見えず、千恵子はその場から動かずにじっとしていた。さっきまで、しっかり手をつなぎながら歩いていたんだから、そんなに遠くに行くはずはない。きっと、やられてしまったんだわ。千恵子は一人泣きながら泥の中にうずくまっていた。

 照明弾が上がって明るくなった。千恵子の後ろ十メートル位の所に大きな穴があいていた。それを見ると千恵子は悲鳴を上げながら駈け出した。

 突然、「静かにしろ!」と怒鳴られた。見ると武装した兵隊が三人、ガジュマルの木陰に隠れていた。剣のついた銃を千恵子に向けて、「電波探知機に引っ掛かる。静かにしろ」と怖い顔して睨(にら)んでいた。

「すみません」と千恵子は謝った。

 電波探知機というのは病院壕にいた時、入院していた患者さんから聞いていた。よくわからないけど、米軍は色々な最新兵器を持っていて、人の話し声を探知して、そこに集中攻撃をかけると言っていた。

 また真っ暗になってしまい、千恵子はその場にしゃがみこんだ。照明弾が上がり、ガジュマルの木の方を見ると兵隊たちの姿はなかった。千恵子はフラフラとガジュマルの木の下に行くとその木陰に隠れた。

 恐ろしさで体中が震えていた。口も震えて歯がガチガチ音を立てていた。止めようと思っても止められなかった。

 どうして、小百合と悦子はあたしを置いて逝(い)ってしまったの。たった一人で、これからどうしたらいいのよ。いっその事、あたしも死んでしまいたい。艦砲弾に当たって一瞬のうちに死んでしまいたい。千恵子は自分の体がバラバラに吹き飛ぶのを想像した。首がもげて脳みそが流れ出し、手足ももげて、はらわたもバラバラになって飛び散った。いつか、病院壕の前で見た光景と重なって、あんな死に方はいやだと首を振った。青酸カリを飲めば、もっと楽に死ねるのかもしれない。古波蔵さんにもらってくればよかったと思ったけど、真栄平まで行けば古波蔵さんに会えるかもしれないと考え直した。古堅さんもいるかもしれないし、佳代やトヨ子、初江や晴美もいるに違いない。頑張って真栄平まで行くのよと自分に言い聞かせて、千恵子は艦砲弾の炸裂する中に飛び出した。

 長かった夜が明け、辺りはシーンと静まり返っていた。空は曇っていて、また雨が降りそうな雲行きだった。


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2009年06月20日

樹木に飛び散った内蔵や手足が‥‥

沖縄二高女看護隊・チーコの青春 第2部―18.破傷風患者と脳症患者」より樹木に飛び散った内蔵や手足が‥‥


 まもなく敵の攻撃がやむ時刻、千恵子と小百合は和田上等兵を埋葬地に運ぶために、第三坑道の入口近くに来ていた。夜が明けて、外はもう明るくなっていた。

 第三坑道の入口前には前線から送られて来た負傷兵が五、六人、戸板に乗せられたまま並んでいた。手術室のある上の壕の前は勿論の事、どこの壕の前にも負傷兵は並んでいた。危険を冒して夜中に負傷兵を運んで来ても、病院壕には入れてもらえず、困り果てて壕入口前に置いて帰ってしまうのだった。毎朝、敵の攻撃がやんでから衛生兵たちが広場にある擬装網の下に運んでいた。

「今日も暑くなりそうだな」と誰かが声を掛けて来たので振り返ると矢野兵長だった。

「もう暑くてたまりませんよ」と言いながら千恵子は顔の汗を拭いた。煤(すす)で黒くなっている顔を矢野兵長に見られたくなかったけど、もう手遅れだった。

 矢野兵長は奥の坑道にある寝台で寝ていたが、そこが第九病棟になってしまい、上の壕に移動した。上の壕も病棟になると、そこも追い出されて、衛生材料などの倉庫になっている壕に移ったらしい。千恵子たちが奥の方に寝台を詰めた後は、第一坑道に移って来て、時々、井田伍長や古波蔵看護婦と一緒に酒を飲んでいた。勤務中に病院壕にいる事は滅多になく、どこかに行っているようだった。

「矢野兵長さんが手伝ってくれるんですか」と千恵子は毛布にくるまれた遺体を示しながら聞いた。

「そうだよ。俺じゃ頼りないのか」

「いえ、そうじゃなくて、兵長さんが来るなんて珍しいので」

「なに、もう兵長だの軍曹などと言ってる場合ではなくなったよ。衛生兵だろうが武器を持って前線に行かなくてはならない状況になっているんだ。まったく、ひどい有り様だよ。今度こそ、二十七日の日本軍の勝利を祈るばかりだな」

「二十七日に総攻撃があるんですか」と小百合が目を輝かせて聞いた。

「多分な」と矢野兵長はうなづいた。「五月二十七日は海軍記念日なんだよ。今度こそ、連合艦隊が出撃して来るだろう」

 千恵子と小百合は指折り数えた。あと九日だった。あと九日間、頑張ればいいんだと思うと急に力がわいて来て、知らずに笑いがこぼれて来た。

「危ない、伏せろ!」と入口にいた歩哨兵が怒鳴ったのと同時だった。物凄い爆発音が響き渡り、千恵子は爆風で飛ばされた。

 辺りが急に静かになった。千恵子は顔を上げた。

 小百合が壁に寄り掛かったまま両足を投げ出して座り、目を見開き、口をポカンと開けていた。爆風を飲んでしまったのかと千恵子は慌てて側まで行くと小百合の体を揺すった。小百合は気が付いたかのように千恵子を見ると入口の方を指さして、口を動かした。

 誰かが千恵子の背をたたいた。振り返ると矢野兵長が口をパクパクさせていた。小百合を見ると小百合も口をパクパクしている。もしかしたら、耳が聞こえなくなってしまったのかと千恵子は首を振った。やがて、耳がキーンと鳴って聞こえるようになった。

「おい、大丈夫か」と矢野兵長が言っていた。

「チーコ、チーコ」と小百合が呼んでいた。

「大丈夫、大丈夫よ」と千恵子は言ってから、我が身を見回した。血は出ていないし、痛みもどこにもなかった。助かったとホッと溜め息をついた。

 第三外科の比嘉看護婦と照美がポカンとした顔して立ち尽くしていた。千恵子も入口の方を見て、愕然(がくぜん)となった。

 負傷兵が並んでいた所が直撃されて、大きな穴があいていた。そこにいた負傷兵たちの体はバラバラになって飛び散っていた。ちぎれた手や足が転がり、脳みその出た頭も転がっている。回りの樹木にも飛び散った内蔵や手足が引っ掛かっていて、血がポタポタと垂れていた。まるで、地獄絵そのものだった。

「あたし、見てしまったのよ」と言いながら小百合が泣いていた。千恵子は背中を向けていたけど小百合は入口の方を向いていたので、負傷兵がやられる瞬間を見たのかもしれなかった。

「小百合、大丈夫よ。あたしたちは無事だったのよ」千恵子はショック状態の小百合を慰めた。

 やがて、敵の攻撃がやんで静かになった。矢野兵長と歩哨兵が外に出て行った。何げなく天井を見た千恵子は恐ろしさで身震いした。艦砲弾の鋭い破片がいくつも天井に突き刺さっていた。


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2009年06月11日

傷口から蛆虫が‥‥

沖縄二高女看護隊・チーコの青春 第2部―17.蛆虫」より傷口から蛆虫が‥‥


 千恵子が患者さんのおしっこを取って汚物入れの所に戻って来ると、一番奥の下段に寝ている山内一等兵が、「痛え、痛えよう」と騒いでいた。

 第六外科が新設された日に入院した古い患者さんで、両足に重傷を負って右足は切断され、胸部にも重傷を負っていた。最初の頃は唸っているばかりで食事も取れない状態だったが、少しづつ快方に向かって、胸部の傷は大分よくなり、食事も取れるようになっていた。

「その人、昨夜も痛い、痛いって、ずっと騒いでたのよ」と悦子が言った。「仕方ないから古堅さんが痛み止めの注射を打って、やっと静かになったんだけど、薬が切れちゃったみたいね」

 薬品不足は深刻で、化膿止めや痛み止めの注射も以前のようには打てなくなっていた。初めの頃は千恵子たちが薬剤室に行けば、はいはいと言って薬をくれたのに、患者さんが増えるに従って、難しい手続きが必要になり、正看護婦が行かなければどうにもならなくなっていた。痛み止めの注射を打ってやりたいけど、古堅看護婦が出勤して来る夕方まで待ってもらうしかなかった。

 我慢して下さいと頼んでも無駄だった。痛い痛いと喚き続け、回りの患者さんたちも怒って、早く、静かにさせろと怒鳴った。

「古波蔵さんに頼もうか」と悦子が言った。

「そんな、駄目よ。第六外科の患者さんの事をよその看護婦さんに相談したら、古堅さんの面目丸つぶれになっちゃうわ。二人で何とかしなくちゃ」

「そんな事言ったって、どうするのよ」

「治療班は今日来るかしら」

「まだじゃないの。明日か明後日(あさって)じゃない」

 千恵子が痛い場所を聞くと、切断した右足ではなくて、左足の方だった。包帯を巻いた左足のふくら脛(はぎ)に耐えられない程の激痛が走るという。とにかく、包帯を解いてくれと言うので、千恵子は悦子とうなづき合ってから包帯を解き始めた。包帯を解いて傷口を消毒すれば痛みもいくらか和らぐだろうと思った。

 包帯を解きながら千恵子は変な音を耳にしていた。ガサガサというか、ギジギシというか、時々、ネズミが現れるので、ネズミが柱でもかじっているのかと思ったが、どうも、包帯の中から聞こえて来るような気がした。ランプを近づけて見たけど、膿で汚れているだけでよくわからなかった。

「どうしたの」と悦子が聞いた。

「ねえ、変な音がしない」と聞いたが、悦子は「気のせいよ」と言って、他の患者さんの方へ行ってしまった。

 包帯を解くにしたがって悪臭がプーンと鼻をつくが、もう慣れて、我慢できるようになっていた。包帯を外し、膿に濡れたガーゼをはがすと、艦砲の破片にやられた傷口が現れた。と同時に傷口からポロリと何かが、千恵子の手の上に落ちて来た。何げなく、それを見た千恵子はゾッとした。蛆虫(うじむし)が手の上を這っていた。千恵子は軽い悲鳴を挙げて、蛆虫を払い落とした。

 どうして、こんな所に蛆虫がいるんだろうと思いながら、ランプを近づけて傷口を見た。傷口の肉が白く盛り上がっていた。この前、治療班が来た時はこんな風ではなかったような気がする。おかしいと思いながら傷口を見ていたら、その傷口が動いていた。さっきから気になっていた変な音もそこから聞こえて来た。蛆虫が傷口に群がっていたのだった。千恵子は思わず、悲鳴を挙げて、その場から走り去った。

 悦子が、「どうしたのよ、ねえ、どこに行くのよ」と言いながら追って来た。

 千恵子は無意識のうちに第十外科に行って、古波蔵看護婦を頼っていた。血相を変えて飛び込んで来た千恵子に古波蔵看護婦は驚き、「一体、どうしたのよ。また、下痢になったの」と聞いて来た。

 千恵子は荒い息をしながら首を振った。

「蛆が出たんです。患者さんの傷口に蛆虫がいっぱいいるんです」

 古波蔵看護婦は冷静な顔をしてうなづいた。

「とうとう第六にも出て来たのね。昨日、第四の患者さんから見つかったのよ。毎日、包帯を交換していれば、蛆なんてわかないんだけどね、仕方ないわよ。蛆は膿やバイ菌を食べてくれるので傷が早く治る場合もあるんだけど、肉や皮も食べるからひどい痛みがあるのよ。消毒したガーゼで払い落としてやってちょうだい」

 悦子は古堅看護婦から蛆虫の取り方を聞いていた。千恵子にも教えてやれと言われていたけど、まさか、生きている人間に蛆がわくなんて考えられなかったので、言うのを忘れてしまったという。

 第六外科に戻ると、「早く、そいつを何とかしてくれ」と山内一等兵は騒いでいた。足を動かしたのか、傷口にあふれていた蛆虫は毛布の上に落ちて蠢(うごめ)いていた。

 千恵子は慌てた事を謝って、悦子が用意してくれたピンセットに消毒したガーゼを挟み、リゾール液の原液を入れた膿盆(のうぼん)代わりの空き缶の中に、傷口で蠢く蛆虫を掃き出した。コロコロと太った蛆虫は傷口の奥の方まで食らい付いていた。見ているだけで気持ち悪く、全身に鳥肌が立っていたけど、千恵子は必死になって蛆虫と格闘した。驚く程、多くの蛆虫がいて、空き缶から溢れ出そうだった。悦子に渡そうとしたら、いなかった。気持ち悪いと言いながら見ていたけど、耐えられなくて逃げてしまったようだ。

「まったく、もう。あたし一人にこんな事させて」千恵子はブツブツ文句を言いながら、死んだ蛆虫を汚物入れに捨てた。

「もう大丈夫ですよ」と千恵子は笑顔を見せて、傷口を綺麗に消毒してから新しいガーゼで塞ぎ、包帯を巻いた。包帯は汚れていたけど、山内一等兵はホッとした顔をして、嬉しそうに笑った。


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2009年06月02日

艦砲にやられた負傷兵

沖縄二高女看護隊・チーコの青春 第2部―8.第一坑道」より艦砲にやられた負傷兵


 八時頃、車の音が聞こえたかと思うと、高良婦長が飛び込んで来た。

「新しい患者さんよ。水汲みをした人たちは手術室の方に集まって」

 千恵子たち五人が外に出ると明かりを消したトラックから担架に乗せられた患者さんが次々と手術室の方に運ばれていた。

 新しい患者さんは五人だった。高良婦長が衛生兵から患者の様子を聞き、一番重傷の患者が手術台の上に運ばれた。顔は泥まみれで、くるんであった毛布をはがすと上半身と右腕に包帯がグルグル巻かれ、血で真っ赤に染まっていた。千恵子は思わず目を背けた。

「あんたたち何をぼやっとしてるの」と婦長に怒られ、後は看護婦に命じられるままに動いた。

 内科からも助っ人が五人来た。澄江や和美もいたが無駄話をする状況ではなく、訳がわからないまま、お湯を沸かしたり、手術器具を消毒したり、ガーゼや薬品の用意をしたり、忙しく動き回った。

 石黒軍医が落ち着いた顔してやって来ると手術が始まった。千恵子たちは昨夜と同じようにローソクを持って手術台を照らした。手術室勤務の喜納(きな)看護婦が体に巻いた包帯をはずすためにハサミを入れた。患者さんが痛そうに顔を歪めた。

「アチッ」と千恵子は思わず叫んだ。ローソクのロウが手の指に垂れてきて、とても熱かった。喜納看護婦に睨(にら)まれて、千恵子は謝り、熱いのを我慢する事にした。

 血だらけの包帯をはずすと傷だらけの体が現れた。胸の所の大きな傷は皮がめくれて中の肉が見え、血が溢れ出ていた。ムッとした血の臭いで気分が悪くなり、気が遠くなりそうだった。

「チーコ」とトヨ子に言われ、千恵子はハッと我に帰った。

 石黒軍医は脱脂綿で血を拭き取りながら傷の具合を調べていた。喜納看護婦が右腕の包帯もはずした。かなりの脱脂綿が傷口に詰めてあり、血だらけのそれを取ると、腕の肉は半ばえぐり取られていた。その傷口を目(ま)の当たりにした留美がへなへなと倒れた。

「こら、気をつけろ」と軍医が怒鳴り、留美に代わって朋美がローソクを持った。

 上原看護婦が麻酔の注射をして、軍医がメスを持った。伊良波看護婦と大城看護婦が患者の体をしっかりと押さえた。傷口を広げると鉄の破片が顔を出した。患者が悲鳴を上げるのも構わず、軍医は破片を引っ張り出した。鉄の破片は鋭くとがっていて、三センチ位の大きさだった。傷口から次々と破片が出て来たが千恵子は見ていなかった。とても正視する事はできなかった。

 二人目の患者も三人目の患者も体から鉄の破片がいくつも出て来た。

 四人目の患者は右の足首から先がグチャグチャになっていて、切断するしかなかった。腰椎(ようつい)に麻酔注射を打ったら数分で患者の意識はなくなった。足首を消毒してメスを入れると血と共に白い脂肪が飛び出した。肉を削り取って糸鋸(のこ)のような細い歯の付いた鋸で骨を切る。骨を切る時の音は何とも言えず、気味悪かった。切り落とした足は大城看護婦が無造作につかむと、汚れた包帯が捨ててある汚物入れの中に投げ捨てた。切り口の肉はメスでえぐり取られ、血管やら神経やらを引っ張って結び、皮は縫合された。包帯を巻かれた足は棒のようになってしまい、もう靴を履く事もできず、可哀想だった。

 五人目の患者は左肩に小さな破片が四つ入っていただけの軽傷だった。

 手術が終わったのは十二時を過ぎていた。ローソク持ちを交替した後、夜中だというのに水汲みをやらされ、もうくたくたになっていた。手術の済んだ患者は外科病棟に移された。喜代とトミが手術室の後片付けをするために残り、内科からの助っ人も帰り、千恵子たちは外科病棟に戻った。


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2009年05月24日

那覇を襲った十・十空襲

沖縄二高女看護隊・チーコの青春 第1部―2.十月十日」より那覇を襲った十・十空襲


 二時近くになって、やっと静かになった。千恵子は防空壕から出て、屋根の上を見上げた。康栄と栄一と伯父さんは屋根の上に座り込み、ポカンとした顔で那覇の方を見ていた。庭からだと黒い煙が見えるだけでよく見えない。黒い空の中、血のような色をした太陽が浮かんでいた。千恵子はハシゴを登った。

「ひでえよ」と康栄が顔を歪めた。

 千恵子は康栄の隣に座り込むと恐る恐る那覇の方を見た。

 松尾山からも煙が立ち昇っていた。二高女だか国民学校だか病院だかわからないが、どこかに爆弾が落ちたようだった。病院にいる姉は大丈夫なのか心配になった。千恵子の家のある久茂地(くもじ)町は無事のようだが、港の近くの通堂(とんどう)町、西新町、西本町、東町、上之蔵(うえのくら)町、辻(つじ)町、そして、対岸の垣花(かきのはな)町辺りは燃えているようだった。それに、高射砲陣地のある城岳の辺りも煙を上げている。城岳の近くには二中があり、父のいる県庁も近くだった。

「四回目から那覇の街を攻撃し始めたんだ」と康栄は言った。「畜生、友軍の姿なんか全然見えねえ。今度、敵が来たら那覇は全滅になるぞ」

「そんな‥‥‥」

「だって見ろよ。敵は焼夷弾(しょういだん)て奴をばらまいてんだぜ。風も出て来たし次々に燃えちゃうよ」

 千恵子は家に残して来た服やまだ新しい革靴、祖父が大事にしている三線(さんしん)、祖母が大事にしている銀のジーファー(簪(かんざし))、父が大事にしている写真機、母が大事にしている上等な着物、その他様々な物を思い浮かべた。それらが皆、燃えてしまうなんて考えたくもなかった。空を見上げ、大雨でも降ってくれればいいと願った。しかし、首里の上空は那覇の上とはまったく違って青空が広がっていた。

 警防団員の人が来て、那覇から大勢の避難民が首里に押し寄せて来たと知らせた。彼らの避難場所を手配しなければならないので手伝ってくれと頼まれ、伯父さんは康栄と栄一を連れて、どこかに行ってしまった。千恵子は一人、屋根の上に取り残され、燃える那覇の街を呆然と眺めていた。

 燃えている辺りに友達の家があった。みんな、無事に逃げただろうか。住む家をなくしたら学校にも来られなくなってしまうのではないだろうか。あともう少しで卒業できるというのに可哀想だった。どうして、こんな目に会わなけりゃならないの。那覇の人たちが一体、何をしたっていうの。どうして、こんなひどい事をするのよ。

 どれくらい時間が経っただろう。西の方からブーンという恐ろしい響きがまた聞こえて来た。見上げると敵の大編隊が我が物顔で飛んでいる。さえぎる者もなく余裕しゃくしゃくで那覇の上空まで来て爆弾を次々に落とし始めた。港や飛行場は壊滅してしまったのか、そちらに行く気配はなく、那覇の街を無差別に攻撃していた。松尾山も攻撃されて煙が上がった。崇元寺や壷屋(つぼや)の辺りも攻撃されている。少しづつ首里の方に近づいて来るような気がして、千恵子は慌てて屋根から降りて防空壕に駈け込んだ。

 五度目の空襲は一時間位続いた。四時頃、皆が止めるのも聞かず、防空壕から飛び出して屋根に上がってみた。そこからの眺めは悪夢だった。自分の家だけは大丈夫だと信じていたのに、それは儚(はかな)い夢と消え果ててしまった。

 那覇の街は火の海になり、辺り一面、物凄い煙を吐いていた。久茂地町も松尾山も市役所や山形屋デパートも郵便局も那覇駅も県庁も皆、火の海の中にあった。

 燃えている那覇の街を見ているうちに涙が知らずに流れて来た。千恵子は屋根の上に座り込んだまま泣き続けた。


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2009年05月20日

石川五右衛門登場

時は今‥‥石川五右衛門伝 4.山の砦」より石川五右衛門登場


 おつたに連れられて、マリアと勘八は安土の北東にある霊仙山(りょうせんざん)の山中へと入って行った。

「ネエ、どこ、行くの?」と薄暗い山道を見上げながら、マリアが聞いた。

「お頭の所に決まってるでしょ」とおつたはサッサと山道を登って行った。

「どうして、五右衛門様はこんな山の中にいるの?」

「盗っ人が町中にいるわけないでしょ」

 おつたの言う事はもっともだが、マリアは何となく不安になっていた。

「奴に捕まったら、終わりじゃ、ヒッヒッヒ」と言った夢遊の言葉が思い出された。

 盗賊一味の荒くれ男どもに囲まれて、乱暴されるのではないかと恐ろしくなった。

 マリアは急に足を止めると、後ろから来る勘八を振り返った。

「大丈夫だよ」と勘八は自信ありげに言ったが、勘八一人で盗賊を相手に逃げられるとは思えなかった。

「お前の事は俺が命懸けで守る。それに、石川五右衛門はお前の親父さんの事を知ってるんだろ。大丈夫だよ」

「そうネ、大丈夫よネ」とマリアは自分に言い聞かせた。

 勘八はマリアの手を引くと、おつたの後を追って行った。

 道がなくなっても、おつたは草をかき分けて、どんどん登って行った。

 ここまで来たら、もうどこまでも付いて行ってやるとマリアは覚悟を決め、汗を拭きながら後を追った。

 途中、危険な岩場があった。おつたは身が軽く、ヒョイヒョイと岩をよじ登って行った。マリアは負けるものかと必死になって岩にしがみついた。

「あんた、なかなか、やるじゃない」とおつたは笑った。

「五右衛門様に会うためなら、こんな事くらい‥‥‥」マリアは額の汗を拭うと岩壁を見上げた。

「もうすぐよ」

 岩場を抜けると後は比較的平坦な道が続いた。しばらく行くと鬱蒼(うっそう)とした木立の中に、空堀と土塁に囲まれた砦が現れた。まさに、大盗賊、石川五右衛門の砦を思わせる不気味さが漂っていた。

「この中に、五右衛門様がいるのネ」とマリアはポツリとつぶやいた。

 おつたが門の前で、「ピピッピ、ピーピー」と口笛を鳴らすと、土塁の上に若い男が顔を出し、「おつたか?」と聞いてきた。

「お土産、持って来たわ」とおつたは言った。

「よくやった」と若い男はマリアをチラッと見てから消えた。

 しばらくして、分厚い門扉(もんぴ)が開いた。

 土塁に囲まれた中は以外に広く、若者たちが武術の稽古に励んでいた。

 土塁から顔を出した男が、「おつた、お頭が待ってる」と言って、右側にある屋敷を顎(あご)で示した。

 その男は猟師の格好をして鉄砲を持ち、ニヤニヤしながら、マリアを眺めていた。

 おつたはうなづき、マリアと勘八を屋敷に案内した。

 屋敷の中は薄暗く、奥の部屋に人影が見えた。

 おつたはマリアと勘八を手前の部屋に座らせると、奥の人影に声を掛けた。

「あれが五右衛門様なの?」とマリアは人影をジッと見つめた。

 黒っぽい帷子(かたびら)を着て、文机(ふづくえ)に向かっているようだった。後ろ姿は逞しく、マリアが想像していた通りの五右衛門だった。

「おう、無事じゃったか?」と低い声で言うと五右衛門はゆっくりと振り返った。

 期待と不安に揺れながら、マリアは五右衛門の顔を見つめた。その顔を見て、今にも悲鳴を上げそうになる程、驚いた。


タグ:時は今‥‥
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2009年05月12日

安土の城下

時は今‥‥石川五右衛門伝 1.飛んでる娘」より安土の城下


 琵琶湖に突き出た丘の上に華麗な楼閣(ろうかく)がそびえている。

 その豪華さは、この世のモノとは思えない程、素晴らしく、とても、言葉では表現できない程、美しかった。

 五年前まで、人家もまばらな辺鄙(へんぴ)な土地が今、誰もが注目する都となっていた。

 安土(あづち)である。

 尾張(愛知県)出身の英雄、織田信長は破竹の勢いで、群がる敵を打ち倒し、清須から岐阜、岐阜から京都へと進出したが、京都に留まる事なく、琵琶湖畔の安土の地に本拠地を置き、城下町を建設した。丘の上に石垣を積み上げ、五層建ての豪華な御殿を築き、それを天主と命名した。

 城下には家臣たちの屋敷が並び、各地から集まって来た商人や職人たちが、新しい町を作っていた。町々は活気に溢れ、人々は城下の象徴である輝く天主を見上げながら、信長のお陰でようやく、戦乱の日々も終わったと安堵の日々を送っていた。

 梅雨の上がった夏晴れの朝、職人たちの町への入り口に当たる鎌屋の辻と呼ばれる大通りの四つ角で、見るからに変わった二人の娘が深刻そうな顔付きで話し込んでいた。

 二人共、足丸出しの丈(たけ)の短い単衣(ひとえ)を着て、腰に巻いた白い帯の結び目を横に垂らしている。長い髪には蝶々のようなリボンを結び、旅支度をしているつもりか、小さな包みを背負って、杖(つえ)を持っていた。

 一人は赤い朝顔模様の単衣に赤いリボン、もう一人は青い朝顔模様の単衣に青いリボンを付け、好みの色は違うが、顔付きも体付きもそっくりだった。

「じゃア、気イ付けてネ」と赤いリボンの娘が跳びはねた。

「あんたもネ」と青いリボンの娘も跳びはねた。

「うまくやりましょ、ネ」

 二人はうなづくと、天主を見上げてから、手の平をポンとたたき合って別れた。

 青いリボンの娘は京都へと続く街道に向かい、赤いリボンの娘はしばらく、青いリボンの娘を見送っていたが、首から下げた十字架をそっと握るときびすを返した。

 赤いリボンの娘が青いリボンの娘を見送った後、少し離れて立ち話をしていた二人の山伏が、何気ない仕草で、一人は青いリボンの娘を追い、もう一人は赤いリボンの娘を追って行った。さらに、荷物をかついだ旅の薬売りが二手に分かれて、山伏を追っていた。

 鎌屋の辻を二町(ちょう)(約二百メートル)程、北上するとまた大通りにぶつかる。その大通りは城と港を結ぶ主要道で、通りの両側には商人たちの屋敷や蔵、そして店が並んでいた。

 東に行けば、百々(どど)橋を渡って城内へと入る。石段を登って仁王門をくぐり、さらに登ると建築中のハ見寺(そうけんじ)がある。さらに登って、黒鉄(くろがね)門を抜けると二の丸、本丸、天主へと続いていた。

 西に行けば、大きな船がいくつも浮かぶ、賑やかな港へと出る。港に面して納屋(なや)と呼ばれる倉庫が幾つも建ち並び、各地から様々な物資が集まっていた。羽柴(はしば)藤吉郎秀吉の城下、長浜や明智十兵衛光秀の城下、坂本へ向かう船もそこから出航していた。


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2009年05月02日

石川五右衛門誕生

藤吉郎伝―若き日の豊臣秀吉 13.初心」より石川五右衛門誕生

松下屋敷の奉公をやめて尾張に帰った藤吉郎は、駿河で知り合った五助を連れて、生駒八右衛門の屋敷に居候します。幼い頃の夢を思い出して京都に行こうと決心した藤吉郎に、俺は世直しをやるんだと五助は主張します。


「そうさ。ここに来て、ようやく俺のやるべき事がわかったんだ」と五助は藤吉郎に言った。

「へえ、よかったじゃねえか。しかし、盗っ人じゃなあ」と藤吉郎は首を振る。

「盗っ人じゃねえ、世直しだ。よく聞けよ、駿河も遠江も今川家の領国だ」

「そんな事は知ってる」

「まあ、聞け。駿河も遠江もここのように戦はねえ。ここも誰かが一つにまとめれば戦はなくなるだろう。それは侍の仕事だ。おめえがやればいい。俺は侍には向いてねえ」

「だから、盗っ人になるのか」

「違う。おめえも見ただろ、駿河は戦はねえ。戦はねえが貧しい者たちは大勢いる。やつらは好き好んで貧しいわけじゃねえ。必死で仕事口を捜している者も多い。しかし、仕事なんかねえ。そんな奴らがドブ臭え所に固まって乞食のように生きている。かと思えば、贅沢の限りを尽くしている者もいる。おかしいとは思わねえか。どこかが狂ってるんだ。俺は銭を持ってる悪人から銭を奪って、困っている人たちを助けてやろうと決めたんだ」

「確かに、今の世はどっかが狂ってる。強盗に人殺し、手籠めも日常茶飯事だ。おめえの言う事も一理あるが、そんな事をしたら侍を敵に回す事になるぞ」

「ところがそうじゃねえんだ。侍どもは戦に明け暮れてる。どんな侍にも必ず、敵がいる。例えば、今、清須と那古野は敵同士だ。俺が清須で悪さをすれば、那古野の上総介(信長)は喜ぶというわけだ。那古野に逃げ込めば捕まる事はあるめえ」

「そんなうまえ具合に行けばいいがな」

「最初から大物は狙わねえ。大物を狙うにはそれなりの準備が必要だからな。仲間も集めなけりゃなんねえ。まずは小悪党をやっつけてやるさ」

「あまり賛成はできねえが、おめえが決めたんだからな。しかし、どうして、ここに来て、そんな事を思いついたんだ。まさか、生駒様があくどい事をしてるわけじゃねえだろうな」

「生駒様は違うさ。八右衛門殿から話を聞いたんだよ。汚え事をして稼いでる商人が増えて来たってな。その話を聞いて俺は許せねえと思ったんだ」

「成程な」

「ところでな、話は変わるが俺は名前を変える事にした」

「何だと」

「五助じゃ何となく安っぺえからな。八右衛門殿と同じように右衛門を名乗る事にした。これからは五右衛門(ごえもん)と呼んでくれ。石川村の五右衛門で石川五右衛門だ。どうだ、なかなか強そうな名前だろう」

「石川五右衛門だと。どう見ても五右衛門ていう面じゃねえな。五助の方が似合う」

「うるせえ。もう決めたんだ。今から五右衛門と呼べ、いいな」

「わかったよ」

 キャーキャー笑いながら、女たちが帰って来た。

「おい、おナツ、俺は今日から五右衛門だからな、五助じゃねえぞ」

 おナツは五助が何の事を言っているのかわからず、きょとんとしていた。おきた観音がケラケラ笑いながら、五助を指さし、「ゴスケー」と叫んだ。

 藤吉郎は思わず吹き出した。

「おい、おきたがおめえの名前を覚えたぞ、よかったな」

「うるせえ、五助じゃねえ、五右衛門だ」

 五助はおきた観音に向かって、何度も五右衛門だと言って聞かせたが、おきた観音は、「ゴスケー、ゴスケー」と言うばかりだった。


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2009年04月26日

善太夫とナツメ、3年振りの再会

戦国草津温泉記・湯本善太夫 4.雷鳴」より善太夫とナツメの3年振りの再会


 うっとおしい梅雨が過ぎて、夏真っ盛りの頃だった。

 箕輪の城下から来た武士の一行を見送って、一息ついていた頃、突然、『小野屋』の孫太郎が妹のナツメと一緒に山程の土産を持ってやって来た。

 善太夫は北条方の商人である『小野屋』を宿に泊めていいものか迷ったが、孫太郎が伊勢の国から久々に関東にやって来たと言ったので、その事は知らない振りをして、いつもの馴染み客として迎える事にした。また、ナツメの笑顔を見て、断れるわけもなかった。

 三年振りの再会だった。

 冬になる度に、ナツメを捜しに旅に出掛けたが会う事はできなかった。縁がなかったのかと、半ば諦めかけている時だった。やはり、縁はあったのだと善太夫は飛び上がらんばかりの嬉しさだった。

 三年振りに見るナツメはもう一人前の女といえた。眩(まぶ)し過ぎる程、美しく、その笑顔に見つめられると、初めて会った時のように胸が高鳴るのを感じていた。

 前回と同じように奥の座敷に案内すると、孫太郎は戦死した父親と叔父のお悔やみを述べた後、改まって頼みがあると言った。

「そなたでなくてはできん事だ」と孫太郎は真剣な顔で善太夫を見つめた。

 隣でナツメもお願いしますと頭を下げた。

「わたしに頼みとは?」と善太夫はナツメから孫太郎に目を移すと聞いた。

「まず、小野屋の事だが、小野屋が北条氏と取り引きしている事は、そなたも存じておろう。うちが取り引きをしている武士は北条氏だけではないが、世間では北条氏の御用商人のように思っているようだ。その事については別に否定はせん。小野屋と北条氏との付き合いは古いからな。そこで問題が起きたんだ」

 孫太郎はそこで話をやめ、庭の方に目をやった。庭では番頭が水を撒いていた。

「そなた、愛洲移香斎(いこうさい)殿を御存じだな」と孫太郎は聞いた。

「陰流(かげりゅう)の?」と善太夫は聞き返した。

 孫太郎はうなづいた。「その移香斎殿と北条氏との関係を御存じかな」

「いいえ、知りませんが」

「そうか。北条氏の初代に早雲寺(そううんじ)殿というお方がおられた。その早雲寺殿と移香斎殿は応仁の乱の頃、出会い、その後も友として付き合っていたそうじゃ。二代目の春松院(しゅんしょういん)殿(氏綱)は移香斎殿より直々に陰流を習っておられた。三代目の今のお屋形様(氏康)も直々ではないが陰流を習っておられる。お屋形様が陰流を身に付けておられるので北条家中では陰流をやっている武士は多い。また、移香斎殿の御子息も北条氏に仕えておられた。今は孫の代になっているがの」

「移香斎殿も北条氏に仕えておられたのですか」

「いや、移香斎殿は誰にも仕えてはおらん。初代早雲寺殿にとっては、掛け替えのない友であり、二代目春松院殿にとっては師匠であり、大事なお客人であったお人じゃ」

「そうだったのですか‥‥‥」

「うむ‥‥‥春松院殿は移香斎殿を小田原に迎えようとした。しかし、移香斎殿はお断りになって、名前を隠して、この地に住み、ここでお亡くなりになられた。移香斎殿は晩年、武芸を捨てて、かったい(癩病(らいびょう)患者)たちの治療に専念しておられた。大したお人じゃった」

「はい。その話は伺(うかが)っております」

「それと、もう一つ、移香斎殿がこの地でやっていた事があったんじゃ」

「もう一つ?」

「ああ。玉薬(たまぐすり)(火薬)の研究だ」

「玉薬?」

「そなたは鉄砲というものを御存じか」

「鉄砲? 河越の合戦の時、北条方が使ったという?」

「そうだ」

「見た事はありません。何でも、雷(かみなり)のような物凄い音のする武器だとか噂で聞いております」

「うむ。まあ、そんなような物だ。五年程前、薩摩(さつま)の国の種子島(たねがしま)に南蛮人(なんばんじん)が渡来した」

「南蛮人?」

「明(みん)の国(中国)より、もっと遠い、海の向こうから、やって来た人だ。顔形も言葉も我々とまるで違う人たちだ」

「薩摩の国(鹿児島県)に来たのですか」

「来たというより、台風にやられて種子島に流されたらしい。その南蛮人が最新式の鉄砲を持っていた。河越の合戦で北条氏が使ったのは、この種子島の鉄砲ではない。明の国から伝わった、もっと古い型の鉄砲だ。明の鉄砲はろくに玉があたらん。玉はあたらんが威(おど)しには使える。河越の時がいい例だ。敵は鉄砲の音に慌てふためいて、戦意を失い逃げ惑(まど)った。ところが、種子島の鉄砲は玉がちゃんと当たる」

「玉が当たる? 鉄砲とは玉が出るものなのですか」

 孫太郎はニヤッと笑うと、かたわらに置いてあった長い袋を手に持って、中身を出した。善太夫はてっきり、太刀でも出すのかと身を引いたが、中から出て来たのは、見た事もない鉄と木でできた杖(つえ)のような物だった。

「これが種子島の鉄砲だ」

 孫太郎はその鉄砲を善太夫に渡した。

 善太夫は手に取ってみたが、こんな物からどうやって雷のような音がするのか不思議だった。玉も出ると言っていたが、玉が出たからといってどうなるのか、まったく見当も付かなかった。


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2009年04月16日

善太夫とナツメ、運命の出逢い

戦国草津温泉記・湯本善太夫 2.ナツメ」より善太夫とナツメの出逢い



 夏の終わりの頃だった。

 瑞光坊(ずいこうぼう、後の善太夫)は光泉寺の門前に立つ市からの帰り、湯治客を眺めながら、のんびりと歩いていた。

 草津には様々な客が訪れた。

 きらびやかに着飾った身分の高いお公家(くげ)さんや僧侶。

 偉そうな髭(ひげ)をたくわえて、槍や薙刀(なぎなた)をかついだ、いかつい顔をした武士。

 旅なれた山伏や遊行聖(ゆぎょうひじり)。山伏は真言(しんごん)を唱え、遊行聖は念仏を唱えながら歩いている。

 あちこちから流れて来る遊女や乞食(こじき)、旅芸人。鮮やかな着物に身を包んだ天女のように美しい遊女もいれば、乞食同然のボロをまとったお化けのような遊女もいる。

 時には武家の奥方が立派な輿(こし)に乗って、大勢の侍女(じじょ)を引き連れてやって来る事もある。

 身分も着ている物も様々だったが、草津に来ると皆、平等になったかのように、裸になって湯に入った。

 広小路には、御座(ござ)の湯、綿(わた)の湯、脚気(かっけ)の湯、滝の湯と四つの湯小屋があるが、ほとんど、回りから丸見えだった。勿論、男女混浴で、皆、草津に来た解放感からか、何の抵抗もなく裸になっている。中には、湯から出て素っ裸のまま、広小路を歩いている者もいるが、誰も気にも止めない。

 草津は不思議な所だった。

 瑞光坊は初めて草津に来た時、裸の人たちを見て驚いたが、それよりも、色々な種類の人がいる事の方がもっと驚きだった。小雨村にいた頃、見た事もない違う種類の人々が草津には大勢いた。噂に聞く都とは、こういう所なのかと驚いていた。

 草津は山の中の小さな村だったが、都とは言えないまでも、一種独特の華やかさを持った町だった。

 いつものように、湯池(湯畑)に湯煙が立ち昇り、硫黄(いおう)の臭いが鼻を突く。

 いつものように、滝の湯には大勢の者が湯を浴びていた。

 道行く男たちが足を止めて、ニヤニヤしながら湯小屋を眺めている。

 毎日、この時刻になると、仕事前の遊女たちが大勢、湯を浴びにやって来ていた。

 遊女たちは見られているのを承知で、キャーキャー言いながら誇らしげに体を見せびらかしている。

 初めて、この光景を目にした時、瑞光坊は驚き、まるで極楽のような所だと、毎日のように眺めに来たものだった。最近はその光景にも慣れ、遊女たちとも顔見知りになったため、わざわざ、眺めに来る事もなくなったが、いつ見ても、いい眺めだと思った。

 瑞光坊が眺めていると遊女の一人が瑞光坊に向かって、「若様!」と叫んで、両手を振った。

 他の遊女たちも、「キャー、若様!」と身を乗り出して手を振っている。

 回りの男たちが、瑞光坊を見ながら囃(はや)し立てた。

 瑞光坊は軽く手を上げて答えると、その場を離れようとした。

 ところが、瑞光坊の目は遊女たちの後ろで、滝を浴びている一人の少女の裸身に釘(くぎ)付けになってしまった。この辺りでは見た事もない程、綺麗な娘だった。

 長い黒髪を両手でかき上げながら、湯の滝を浴びている。すらっとした体はまだ幼いが、やけに眩(まぶ)しく、見ているだけで胸がドキドキして来るのを感じていた。

 遊女たちが何かを言っていたが、そんなのは何も聞こえず、少女をじっと見つめていた。

 突然、少女の姿が見えなくなった。

 瑞光坊は市場で買った野菜も忘れ、やじ馬たちをかき分けて、滝の湯の入り口まで行ってみた。しかし、すでに、その少女の姿はなかった。まだ、近くにいるはずだと、広小路中捜してみたが見つからなかった。

 瑞光坊は肩を落として飄雲庵(ひょううんあん)に帰り、野菜を忘れた事を円覚坊に怒られた。

 次の日から、瑞光坊は毎日のように、その少女を捜し回った。

 地元の者ではない事は確かだった。湯治客に違いない。湯治客なら、どこかの宿に泊まっているはずだ。十二、三歳の少女がそんなにもいるはずはない。きっと見つかるはずだと思ったが、なかなか見つからなかった。裸の姿しか見ていないので、どんな身分の娘か分からない。身分が分かれば、それ相当の宿を捜せばいいが、それが分からないから大変だった。

 この前と同じ時間に滝の湯に行けば会えるだろうと行ってみたが、見つける事はできなかった。遊女たちに聞いても、そんな娘は知らないという。三日間、捜し回って見つからず、もう帰ってしまったのだろうと諦めざるを得なかった。


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